フェッリーニの映画「甘い生活」を観る
今年はフェデリコ フェッリーニの生誕100年になる。昨年彼の生まれたリミニに行った際に、彼ゆかりの映画館を訪ねたり、彼の記念館を探したりもした。リミニについてはブログで書いていると思うので興味がある方は良かったら。イタリア映画は、フランス映画と共に、私の若いときアメリカ映画と全く違う雰囲気が好きで、たまに見た物だった。思えば、せいのびをして全く分かりもしないくせに良く見たものだと今は思う。でも、道は、今でもとっても良く覚えている。こんなに切ないことってあるんだなと思った。昨年までは、リミニ市の図書館に彼の記念館みたいなものが作られていたようだったが、今年からジギスモンド城内にオープンしたようだ。また彼の生誕100年を記念して、フェッリーニ関係のドキュメンタリーや古い映画の修復などが行われているようだ。今回は久しぶりに修復後の甘い生活を見てみた。1960年の映画になるそう。もちろん白黒。何と約3時間弱の映画なので、2回に分けて見ることにした。何と言っても、マルチェッロ マストロヤンニとアニタエグバーグのトレビの泉でのシーンが有名だけれども、ストーリーはあまり覚えていなかった。新聞記者のマルチェッロが、ヴェネト通りに集まるVIPのネタ探しにカッコいい車に乗って、フォトグラファーたちと通っている。有名女優のシルビイ、アニタ エグバーグと遊んだり、女友達のマッダレーナ、アヌク エーメとパーテイーで浮かれたり。ところが、彼が一緒に暮らしている女性は、ひどい焼きもち焼き。いつもすったもんだの喧嘩になるが、別れられない仲。田舎からマルチェッロのお父さんが彼を訪ねてやってくる。実は、家にいたことがなかった父親のことをあまり知らないことに気が付く。はっきり言ってストーリーというストーリーもない感じなのだけれど、人の一生のさまざまな面を考えさせられるかなという感があった。これは実はフエッリーニの社会批判なのだという。社会のまたマルチェッロの生活の退廃について?映画を観てからしばらく考えていたけれど、人間の弱さ?人間を見る目がフェッリーニはいつも暖かい。フェッリーニの作品は時代によってかなり変わるのだが、この辺から彼の映画は夢の一部を観ているような感じが強くなってくる。私には、映画が撮影された場所、水道橋公園、カラカラ帝大浴場跡、ヴェネト通りや、EURなどが懐かしい。また、フェッリーニがまるで普通というマストロヤンニはとってもかっこいい。この映画のために痩せろと言われたらしいが、そのために悩める男という感じがグッド。