クリムト展を観に行く
ローマには110年ぶりのクリムト展だと聞き、張り切って展覧会初日に観に行くことにした。場所は、ナボナ広場にあるブラスキ館。この110年ぶりというのは、1911年ローマで行われたエクスポにクリムトコーナーが設けられて以来ということらしい。展覧会入り口。グリーンパス提示後、係員にオンラインチケットを見せて入場。チケットは電話やオンラインで予約を入れることが推薦されているけれども直接チケット売り場でもゲットできるため、平日にも関わらずまあまあの列になっていた。様々な場所から運び込まれた230点の作品は、なかなか見ごたえあり。もちろん、すべてが彼の作品ではなくて、彼の弟たちの作品を始め仲間や彼の時代のアーチストたちの作品も沢山あった。さてさて、グスタヴ クリムトは、ウイーン郊外に1800年代後半生まれた。お父さんは、ボヘミア出身の金細工師だったらしい。7人兄弟だったクリムトの2人の弟もやはりアーチストになった。この金細工師というのが、彼の作品のポイントになると思うのだが、もうひとつのポイントは、アカデミー出ではではなくて、工芸学校出身ということではないか、と思う。当時としてはかなりスキャンダラスな女性のヌードがやはり問題になり、ウイーンのアカデミーでは教えられなかったという。*女友達(姉妹)*1907年 ウイーンのクリムト財団所蔵*ある女性の肖像画* 1916/17年ピアチェンツアのリッチ オッデイ近代美術館所蔵(一度盗難にあったが、再発見されたもの)彼の作品は妖気を放つ、エロスが漂う。女性が本当に好きだったという感じがする。*ビオグラフィーを読むと、彼がスペイン風邪で1900年始めに60歳前に亡くなったあと、14人の女性が彼の子供を産んだと言って来たという。そのうち、6人が認知されたらしい*生涯結婚をせず、お母さんや妹一緒の家で過ごしたようだ。(というのは、映画ではそうなっていたのだが。)生涯を通じて長い関係があったのが、スタイリストの先端とも言える、エミリー フロゲ。ただ、プラトニックではなかったかという話も。エミリーとクリムト。服が独特。クリムトは非常にイタリアを愛した人で、ヴェネチアからラヴェンナに旅した際に、教会の装飾に使われる金箔に大変な感銘を受けた。*確かにラヴェンナは素晴らしい*また、彼の風景画というのは、あまり知られていないが、風景画も描いている。*ガルダ湖のマルチェシーネ*1913年(オリジナルは火災で焼失)そういえば、昔ウイーンがとても好きだった時にクリムトにまつわるスポットを訪ねたことを思い出した。その時に読んだのが、トンボの本。世紀末ウイーンを歩く。↓まだ見つかるようだ。【中古】 世紀末ウィーンを歩く とんぼの本/池内紀,南川三治郎【著】 【中古】afbローマには、実はクリムトの作品が所蔵されている場所がある。ガッレリア ナショナーレ ダルテ モデルナ。国立近代美術館。所蔵されているのは、とっても素敵な、*女性の3つの時代*現在クリムト展にちなんで、クリムト展のチケット所持の場合には割引になりますと、書いてあった。ここは、あまり知られないスポットだけれど、かなりの作品が所蔵されていて、クレーとか、クリムトとか、思いがけない作品に巡り合うところのひとつ。クリムト展は2022年3月27日まで。Museo di Roma, Palazzo BraschiPiazza Navona, RomaKlimt la secessione e l-italiaクリムト。ウイーン分離派とイタリア。時間は、平日10時から20時土日は10時から22時まで。チケット売り場は一時間前に閉まる。追記:クリムトの不思議な模様については、実は解釈があるということを知った。やはり性に関わるものらしい。ウイーン分離派は、もともとユーゲンシュテイールとして、*若者スタイルみたいな意味があるようだが*、ミュンヘンで始まったアートの動きで、伝統的なものから離れようということらしい。ウイーンの分離派グループの代表みたいな感じがクリムトだった。ウイーンの分離派美術館の建物建造のスポンサーになったのが、あの哲学者ウイットゲンシュタインのお父さん。歴史は興味深い。