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カテゴリ:出かけたい!
久しぶりのパドヴァだった。
実は行ったのは、もう一月くらい前。 しっかり私のワクチン接種完了を待ち、副作用があるかもと 1週間は様子を見てからにして、グリーンパスもゲット済み だった。(今のところ、イタリア内では、列車乗車の際、 義務にはなっていないが、8月中にはという話も) パドヴァは、昔ローマからフィレンツエ経由でヴェネツイアまで お客さんを送った際に寄ったものだった。 何が有名かというと、サント聖人と地元で呼ばれる、12世紀末に リスボン生まれ、13世紀初めパドヴァで亡くなった、 パドヴァの聖アントニオ大聖堂が世界中から信者の方を集めている。 ヴェネツイアの聖マルコ寺院に似たクーポラが8つ。 聖アントニオ寺院を左横から。内部は写真禁止。 聖堂内には、聖人の遺体や、レリクア聖遺物が保存されている。 アッシジの聖フランシスコとも、聖アントニオは会っているとか。 何にご利益があるのかというと、探し物に良いという話を聞いた。 その他、イタリアでボローニャの次に古い大学、パドヴァ大学の もっとも古い建物、パラッツオ ボ(変わった名前だが、もともと 大学が作られた場所に料理屋があって、その名前から来ているらしい、 おそらく、ブエ、牛から) 上の階から中庭を見る。パラッツオ ボ。 その近く、昔の街の中心広場はピアッツア デッレ エルベ (野菜市場)とピアッツア デッラ フルッタ(フルーツ広場) とか呼ばれる場所には、こんな大きな建物も。 パラッツオ デッラ ラジオーネ 地階の屋根がある部分は現在でも肉屋さんなんかが入っているが、 昔はキチンと分けられて、毛皮を売るお店、絹織物のお店、 ウールのお店とか、分類されていたそう。 今上の部分は展覧会会場などに使われている、とってもスペースの ある建物。昔は裁判所として使われていたとか。屋根の部分が 船底の形をしているのが、素敵。 しかも、上の階の壁に描かれている絵は、今回ジオットのフレスコ画 と共に、ユネスコ世界遺産に入った。 その他、パドヴァの大聖堂洗礼堂や、聖アントニオ聖堂のオラトリオ、 聖ジョルジョ祈祷所、また聖ミケーレ祈祷所の壁画も、14世紀の 貴重な壁画として、ユネスコ世界遺産になった。 もちろん、ジオットのフレスコ画が残る、スクロヴェーニ礼拝堂は 欠かせない。ジオットがアッシジの聖フランシスコ大聖堂の上の 教会のフレスコ画を描いた後に、パドバでスクロヴェーニ家のため に描いたものが残されている。 (第2次世界大戦の際、パドヴァは空襲がすごかったため、フレスコ画は 一旦外されて、建物はやなり大戦中に被害を受けたため、建物修復後に もどされた。近年フレスコ画の修復が終わり、非常にきれいになっている。 先日、このフレスコ画もユネスコ世界遺産に入った。) 祭壇部分はこんな感じ 横の壁のフレスコ画。 もと入り口上の最後の審判。 今回、すごく感動したのが、パドヴァの植物園。 ここは随分前からユネスコ世界遺産になっているくらい、古いもので、 1545年にお隣に今もある聖女ジュステイナ僧院付属の薬草を育てる 場所として始まったところになる。 大きさは例えばローマの植物園と比べると小さくて、古い部分が1 ヘクタール、新しい部分がもう1ヘクタールになるが、地上の楽園と 思うくらいに手入れがされて、素晴らしい物だった。 (イタリアでは、ローマの植物園も素敵だし、パレルモのものもだが、 パドヴァの植物園はお奨め。) 昔は貴重な薬草を育てていたため、夜盗まれることが度々あって、 柵(塀)が作られた。その丸い部分をオルトウス コンクルートウス と言うが、今でもその丸い部分は残されて、この植物園のシンボルに なっている。 内部は現在、薬草はもちろん、さまざまな世界中の植物が栽培されている 中で、今の季節は世界中の蓮の花が素晴らしい。 こんな色の蓮って。紫色なんてはじめて。 街は昔運河に取り囲まれていた場所だったが、大部分は埋められて道路に なってしまった。ただ、ある程度の運河は今も残っていて、鴨が沢山 泳いだりしている、のどかな所。 パドヴァは、地味ながらも寄る価値の非常にある場所。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.07.31 01:05:51
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