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なぜか記事も書いていないし、
最近はタグもつけてないのに、見に来る人が多いというのは 何かあったんでしょうか?? 私のほうが気になりますね??^^; 韓国に来て、韓国人から学ぶことが多いです... 日本にいながらでは学べないことがたくさんあるんです.... いいにつけ悪いにつけ、 日本とは相容れない発想を持つ国、韓国... しかし、お互いによい点を貪欲に自分のものにするほうが賢く、 発展につながると信じます... 韓国に来てよかったなと思うのは、自己主張の強さです.... 自分の思ったことは、論理的であろうとなかろうと、いったん 相手の情に訴えます.... つまり、自分の自己中心のの感情が、正しいとか正しくないに関わらず 相手に押し付けるわけです.... そうすると、100%否定はされません.... 中には気が弱かったり面倒がったりして、自分の意見に 巻かれる人もいるわけですから...^^; ですから、気の強いが勝ちということになるんですね。 私はそういう発想自体面白いと思いました.... ということは、私も同じように応用できるということです....^^; と教会も、同じですよね。 まずは、ことを大きく見せかけでっち上げ、宣伝するわけです.... それをごり押しするわけです.... 論理がどうこうではありません.... つまり、でかいこという人が勝ちという、単純な発想だし 細かいことなんて全然気にしないから楽でいいわけです.... でも、日本人にはこれはあまり通用しませんよね。 日本人だけでなく、全世界に通用しません。韓国だけ通じるのでしょう。 とにかく、「原理」という「狂理」を作り上げたと協会です.... 「狂理」なだけあって、すべてめちゃくちゃですが、 不思議なことに、このめちゃくちゃな「狂理」が、 やさしく親切にされる、愛されたという情に包まれてしまうと、 「真理」に思えたりした.... でも本当は「狂理」なので、と協会の「原理」に浸かった私たちは、 「狂った人」常識の通じない人間に成り下がってしまったんです..... 狂ってるからね、痛くも痒くもなく犯罪も犯してしまうんです..... 被害者が被害者だと気がつけばいいですが、 気づかせないようにするのが「狂理」ですから、 一度狂った信者が元に戻ることは難しいわけです..... 狂った「狂理」に対抗する「聖書」を学んだ人たちは違います.... 「聖書」を学んだ人たちの中には、 何とこの狂った人たちを救う人たちもいて、救われる人たちもいます.... 不思議なことですが、普通一般の人たちは偶然に救われたりしますが 誰かを助けることまではできません... 神は言葉でこの天地を創造されたし、 蛇も言葉で人間を誘惑しました。 自分は前面に出ないで、人間自身に罪を犯すようにさせたかったわけでしょう... 誤父母の言葉に振り回されて、信者達は狂わされています.... もうすでに狂わされている人は、イエス様の奇跡でしか 癒しを受けれません.... 私たちは、自分の力のなさを認めなければなりません... ただの被害者に過ぎない私たちは一体何の力があるでしょうか?? 病気にかかってから必死で治療するのと、 かからないように予防するのと、どちらが効果的でしょうか。 弱い自分は、統一協会に取り付かれてしまった「狂信者」サン達を 相手にするよりも、まだ何も知らない一般の人たちに訴えることが 本当に重要だと思います.... 「ペンは剣よりも強し」 弱い自分にあるのは、この「ペン」という武器だけでしょう.... しかし、本当に心のこもった言葉は人の心に永遠に刻まれます.... 幸せは勝ち取るものですね? 破壊的な武器によってではない、私の心からの叫びによって 「ペン」という武器を正しく使いこなせたらと思います...... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.12.22 11:25:37
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