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自分が感じていたことが、ほぼそのまま活字になっていると感じた本を紹介します。
冷泉彰彦さんの「関係の空気」「場の空気」 この本では触れていませんが この空気の蔓延は、都市よりも地方の方が深刻なのではないかと。 特に、人の出入りが少ない地域。 それは、地域性の高い言語を使うこと自体が、空気を発生させているから。 帰省した友達が方言をしゃべらなくなっていることに対して「裏切り者」と言ったり ちょっとした方言の違いで、地域を特定(差別)したり。 その「閉鎖性」はもはや文化です。 転勤が多く、様々な地域性を経験した私には 正しく「空気」の問題は、直面せざるを得ないものでした。 私の特異な社交性・・・すぐに濃い空気を発生させて深い関係を築ける能力は 転校先で空気を敏感に嗅ぎ分けて 何をすると喜ばれるのか、何を言うと場を白けさせるのかを推測する中で身につけたのだと思います。 そんな日本語の閉鎖性を丁寧に紐解いている本です。 「空気」というネーミングはともかく、面白く読めるようになっているのでご一読あれ。 ただし・・・ むしろ、閉鎖的・・・つまり仲間意識が強いから、内輪の言葉を駆使する。 日本人が英語をしゃべっても、やはり、内輪な言葉を生み出すのではないかと言う気も。 日本語が空気を発生するプロセスは、自然発生的であるような書かれ方をしているけれども そこには日本人の意図が含まれてると思うのは私だけなのでしょうか。 自然な日本語を教えると、日本語の授業に甘えの空気が発生すると書いてありますが 一般的に日本人が甘えの文化を持っていて、甘えの含んだ日本語を使っていると言う逆の発想もできます。 ま、言葉を全ての出発点にしているのは、冷泉さんが日本語の先生をしているので 仕方ないのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 7, 2012 02:33:05 PM
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