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カテゴリ:つれづれ日記
短い間にテストを受けていたような気がします。
テストのタイトルは「カタチ・枠」 世の中には、人それぞれの経験や価値観によって、 様々なカタチがあります。 同じ言葉を使っていても、まったく違うことを意味することも あるし、信頼の基準が違っていたりする。 たとえば、資格や肩書き。 ○○の資格を持っているから信頼できる、とか。 ○○会社勤務だから、社長だから、男性だから。 普通という「それぞれの常識基準」の枠 何かに取り組む時、この方法だと間違いないという 失敗しない安全策 カラダという「魂の乗り物」の枠や制限 強いものへの依存 今まで、いろいろと勉強し、また実践し、 その枠に捕われたり、自信がない自分に気がつくと 心を鎮め、消化したり手放したりしてきました。 ですが、今回、新車の事故、猫の死、に直面して 大きく感情が動いているとき、 今まであったカタチや枠に拘ったり、追いすがったり していた自分に気がつきました。 そして、それ以外にも セッションにいらした方や、それ以外に私と交遊が あった方々のテーマとして、一緒に考える機会が 訪れたりしていました。 短期間のうちに、このテーマが集中しました。 資格、従来あるもの、カタチとして見えるもの、 それらへの執着は、未来への不安や恐怖から出て来るもの。 今回の場合そうでした。 そう気付いたら、こだわりが消えていきました。 怖いから現状手放せない。 しがみつきたい。 自分がなりたい未来を心から信じていれば、 縁が繋がっていることを信頼すれば、 手放しても大丈夫。 かたちあるものは壊れるけど、最初からカタチがないものは ずっとそのまま。ただ感じればいい。 壊れたものも再生する。 同じカタチではないかもしれないけれど、よりよりものへと再生するでしょう。 そう思ったら、握っていた手のひらをそっと開くことができました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年04月13日 12時56分36秒
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