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カテゴリ:カフェブレーク
ブログを開始させて頂き半年になりました。
ご来場して頂いた方々、書き込んで頂いた方により、自分自身随分成長させて頂いたと感謝しております。 お役立ちできる情報の発信をと、心掛けてきましたが、 未熟な点や、準備不足等があったと感じています。 中学生時代、ペンフレンドと交わした、ハイタッチなコミュニケーションを現在ブログ上で味わえる、心温まる毎日です。♪ 今後ともよろしくフレンドシップが交わせますようお願い致します。 ありがとうございます。 残暑お見舞い申し上げます。 皆様の幸福をお祈り致します。♪ 人生のパートナー 4 「渋沢栄一」 ライフスタイル 1840年生まれの渋沢氏は、幕末の激動の中に生きた偉大な人物である。 家業の「藍玉」の商いを手伝いながら、商売の基本を学ばれた。 尊皇攘夷の当時の熱気に伝染し、志士として、活躍しようと東奔西走していたが、 時代の偶然から、「一ツ橋慶喜侯」に仕えることになる。 やがて、その勘定の明るさを買われ、徳川昭武の欧州遠征の一行のメンバーに選出せられる。 欧州の目覚しい発展を目の当たりにし、日本に繁栄をもたらすのは、合本(資本)会社であると確信する。 日本に戻り一時、大蔵省で敏腕を奮うが、やがて自分が欧州旅行から暖めていた、商業の道を志すに到る。 当時の商人は、過酷な身分制度、士農工商の元での賤しい仕事とされ、商人自ら志低く、 金の亡者の感があった。 渋沢氏はその風土に「武士道」の精神で大きな足跡を残すことになる。 「実業家」はまさに、渋沢氏のお蔭で、今日の栄誉を受けているのである。 商いから、実業への道は、渋沢にとっての、「公道」であった。 第一国立銀行に始まった実業界への進出は、近代日本の資本主義の隆盛のインフラを築く500余りの産業へと、関わっていくことになった。 日本の繁栄の陰に「渋沢栄一」あり、と知る人は少なくなってきつつある。 日本人の中で、私が最も尊敬する実業家である。渋沢栄一氏は、「温顔篤実」な人物として、91歳の生涯を送られた。 彼は心の支えとして、論語の教えを終生の規範とされた。 起業を志す人のみならず、皆様に是非お薦めしたい偉人である。 ※ インフラ=社会基盤整備(電気・ガス・銀行・通信・鉄道等) 参考文献 竹内 均氏 「渋沢栄一伝、孔子人間一生の心得」 津本 陽氏 「渋沢栄一伝」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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