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普段の生活や仕事上でヨソの宗教と接する時、よくその習慣について考えたりする事がある。
宗教とはつまり習慣だろうな。 この地の住人は中華系とマレー系で構成されており、勿論それぞれの宗教施設も別々である。 牛がダメ、豚がダメ、というのは昔々牛や豚に起因する伝染病が流行ったとか、そんな感じなんでしょうね。適当な推測ですけれども。 昔、ヨーロッパ行の貨物船で、バングラ人の学生さん達と一緒に乗っていた時の事です。 ちょうど彼らは夏のラマダン時期で、日の出から日没まで飯が喰えないと云うのである。 クソ暑い機関室で作業した後、水を口にするのもダメみたいな、随分よろしくない状況である様に思えたのがその数日後、 お日さんの明るいうちからモリモリ飯を食しているので、ラマダンが明けたかと尋ねると、 無理、あきらめた という返事が返ってきた。 実は意外と融通を利かせているのがイスラムだったりする。 食べる時に気が付きさえしなけりゃ豚肉もオッケーらしい。 当時、イスラムと神道が似ていると感じた事は、神様は見ている時と見てない時がある、という実に自己完結な思想であり、居る時は居て居ない時は居ない、というのとまぁ同じであり、とても人間らしく横着である。 宗教なんてのは実に言葉が悪くて、不気味なカルトも含めて今はもうただの商売、パチンコ屋と同じ不労所得の手段でしかなく、繰り返して実に気味が悪い。 古来からの習慣と慣習のみが本来の宗教であり、意識しなければ正に慣習でしかない。 後は心の問題。意識の回帰する場所は。 大切に思う心。 その気持ちを持つ人々以外の別の人間や集団が、安易にその慣習へ触れてはならんのである。 至極当たり前の噺である。 さて、むしろジャングルと呼べる山道を抜けますと、目の前に途方もなく大きな池が広がりました。 ネットで拾った情報ですが、その景観がお伊勢さんに似ていた事から、この地に建てたそうな。 おそらくこれが、昭南神社の参道跡? 木組みの橋げたが見えます。この対岸にお社があったそうな。 今はもう道すら見えない。 随分荘厳で神聖な雰囲気。四国の山とよく似た色の森です。 神社跡である事を示すような看板も何もなく、本当にここがそうなのか謎でしたが、 ここが新年の挨拶の場所となりました。 どうやらジャングルの中に、わずかながらお社の跡が残っているらしい。 機会を作って捜してみようと思います。 良い正月でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.01.05 04:15:25
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