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休日の早朝、紅山駅からブキメラ通りへ抜け、前回脱出した茂みの合間から線路跡へ入った。
最近、晩と早朝はほぼ毎日大雨に雷なのであるが、そういえば去年の今頃もそんな感じだったなぁ。 連日の雨で草も随分伸びきっている。最早ジャングルであるよ。 さて、今回はどこまで行けるでしょうか。 いざ国境はウッドランド目指して歩かん。ところが予想以上にぬかるみがひどく、 帰宅する頃にはスニーカーが泥でまみれ、ズボンの裾にも泥が跳ねまくっていた。 青印が再開ポイント。タンジョンパガーからずっと幹線道路沿いだったのが、アレクサンドラと交差後、ほぼ90度北へ変針する次第である。 地図を開いて初めて知ったのだけど実はこの跡地の遊歩道、「グリーンライン」という名前になっているんだね。 さて、ずっと単線分の広さしか無かった獣道が突然、大きく広がった。 しかもなんと、撤去されずに一部残されたのだろうか、線路が敷かれており、その向こうには駅舎が見える。 ブキティマ駅舎跡。 シンガポール駅(タンジョンパガー)から、ウッドランド駅へ向かう途中にあるただ一つの駅だ。 すっかり荒れた駅舎を覗いて観ると、天井旋が寂しそうにぶら下がっていた。 まだ一応管理されているみたいだけれども、史跡の一つとして看板を立てたり、土産屋が並ぶという事は今はまだない。 さてさて、今回はマレーシア視点で考えてみたいと思う。 ホームの看板にある通り、シンガポールの綴りはSINGAPURAであって、SINGAPOREではない。シンガプラはマレー語である。 マレー鉄道の歴史は長く、百年くらいかしら。マレー含めたこの土地がイギリスの植民地だった頃から巡らされていた線だ。 植民地時代にはいわゆる華僑と呼ばれる中華系の民族が大量に流入し、現在のこの地における中華系文化の伝達に至る訳である。 第二次大戦後日本からの独立を経て、元々マレーシアのジョホール州だったこの地は、イスラム優遇政策に反発した華僑が独立を宣言し、要はまぁ勝手に切り取ってしまった。 商売の上手い華僑と、のんびりが是のイスラム系。結局は貯めた銭が多い方が有利になるのである。 マレーシアは州ごとに王様がいて、シンガプラはつまりジョホール州の王様の土地だったそうな。 それを、よそから来た中国人が勝手に切り取ってしまったんだから、そりゃ怒るやろう。 日本でいえば、中華街がある日完全に中国人に乗っ取られてしかも独立を宣言される様なモンである。 結局、最近まで土地争いの原因だったマレー鉄道は、前にも書いたけど国境以南を廃止する事で手打ちとなった訳である。 しかしなんだかこの国は、史跡を観光地化するところまで気が回らない、というか興味も無いように感じる。勿体ないなぁ。 ブキティマ通りの鉄橋が観えたところで今日は終わりました。 今回は青線の区間を歩きました。ちょうど半分くらいかしら。 この先は貯水池帯と鬱蒼としたジャングルエリアになります。 果たして僕は完歩できるのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.31 20:44:25
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