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おばあちゃんに会いに行った。
入院している、と聞いたので、てっきり102歳のおじいちゃんがと思ったら、 98歳のおばあちゃんの方だという 102歳のおじいちゃんは元気だそうだ。 といっても毎日ベットに横になっているだけなんだけど。 最寄り駅で降りる。こんな街だったっけ。 やたら日差しが暑く感じるのは、今住んでいる街と違って まったく街路樹が植わってないからだとすぐに気がついた。 人がいなくて、子どもが見あたらなくて、なんだか閑散としている。 かつて実家だった家に、お正月以来久しぶりに伺う。 おじいちゃんは奥にすうすうと寝ていた。 声をかけると、薄ぼんやりと返事をしてくれる。 同居の伯母が「らぴちゃんよ」と耳元で大声で説明する。 なんとなくはわかっているみたいなので、こんにちはと挨拶をしてみた。 やせていたけれど肌つやよく、丁寧にケアされているのがわかる。 「らぴちゃんはお仕事しているのよ」 と伯母が言い、ふいにふごふごと 「お勤めしてどれくらいになんの?」 とおじいちゃんに聞かれた。 3年ですと答えたら、もう話す事が無くなってしまった。 居間に行き、伯母とお茶を頂く。 普段は介護保険で訪問してくれる方が週に3回来てくれているそうだ。 前の人は元気過ぎだったけど、今の人は70過ぎだが フェリス大卒というのが、私立中の算数の先生だった祖母の気に入ったらしい。 そういえば長男が中学に入ったのを喜んでくれたのも、おばあちゃんだったっけ。 叔母はおじいちゃんが、おばあちゃんの入院先に行った時の話をしてくれた。 外出先ではシャキンとするそうで、車椅子に乗っていたけれども 「これはこれは先生、家内がお世話になっております」 と挨拶するので、 元気な102歳が来た、と病院中のドクターが見に来たそうだ。 おじいちゃんはおばあちゃんを見たら、 今まではそんな事をするような人ではなかったのに、ぎゅっと手を握って、 それを見ていた伯母と母はちょっと涙が出そうになったという。 入院したおばあちゃんは記憶が曖昧になり、 「おじいさん? はて、もう亡くなってるのでは?」 と勝手に記憶から抹消する時もあったそうだが、 その時は「この人だあれ?」と看護婦さんが聞いたら、 夫という言葉が出てこなかったのか、 「私の愛人」 と答えて、それは皆さん大受けだったらしい。 そんな話の後、一時おばあちゃんが良くなった時に、もうお家に帰れますよと 病院に言われて悩んだ話を伯母がした。 連れ帰れば自分は二人の老人の介護をしきれない。 悩まれたそうで、自分の親だと辛く感じる事も多いようだった。 それから歩いて10分位の老人病院に行った。 病院はとても天井が低くて、そういえば哲学堂の病院もそうだったと思い出した。 病室を入ると6人部屋の真ん中に、おばあちゃんが寝ていた。 「らぴです、こんにちは。お久しぶり。」 そう声をかけたら、すぐに目を見開いて、そして、私の事をわかってくれた。 それがとても嬉しかった。 おじいちゃんや、哲学堂に入院していた母方の祖母の時と違って 私の名前と顔を覚えていてくれていた。 私はずっと自分の事で忙しくて、いい孫じゃなかったのに。 「お兄ちゃんはね、高校生よ。ちびは小学生よ」 と言ったら、わかったようなわからないような顔だったけれど、 でも、一生懸命、うんうん、とうなずいてくれた。 母にはとても厳しかったおばあちゃんだったようだけど、 私にもけっしてやさしいおばあちゃんではなかったけれど、 今、私の目の前にいるのは、小さくて、かわいいおばあちゃんだ。 私が保育園にお迎えに行った時の、お迎えとわかった時の長男の表情に ちょっと似ているなって思った。 私が来るなんて、どうしてなんだろうって、少し思っているようだった。 手をさすってあげたら、ちょっと温かかった。 熱が7度以上ある感じがした。 炎症反応がある程度以下に下がらないので退院できないと、病院で言われているらしい。 これは、CRPが5~8、10位あるかなと思った。 熱があって辛そうっていう感じではないんだけど、たしかに炎症反応ありそうだ。 もうおばあちゃんが疲れるから、と、せっかちな母が「それじゃぁね」と挨拶をした。 それじゃぁね。 でも、私は、わかっていた。 もうおばあちゃんに会えないと思う。 今、この瞬間のおばあちゃんを、私は忘れないと思う、と思ったことも忘れない。 これが最後になるんだろうな。 目のふちにまで、泣きたい気持ちがいっぱいにあふれて、 「今日、会えてよかった」 と、おばあちゃんに言った。 おばあちゃんは、話さなくてもわかっているみたいだった。 細い手を、小さく、一生懸命振ってくれた。 もう一度、その手をきゅっと握ってみた。 あったかい。ちょっと熱が高い。 その手が、また小さい子のように、一生懸命振ってくれた。 隣の人はミトンを手にはめさせられて拘束をされていた。 他の方々はみな、認知症などが相当進行している事がすぐにわかった。 その病室の中で、意識はしっかりされている祖母がいることを、 病院はとても心配していたそうだ。 おばあちゃんは認知症はあまり進んでいないように思えた。 でも、ベッド脇の食事摂取記録は、ほとんど食べていないか 一口、としか書かれていなかった。 がんばって、とも、もう言えない。 とても疲れて、自宅まで帰ってきたら6時半の学童保育のお迎え時間ギリギリだった。 それから家に帰ったら、 今日はとても久しぶりに気合いを入れて作った 肉巻きおにぎり弁当(しかも今日は牛肉!) を長男がそのまんま忘れてピアノ上に放置していた事が発覚。 ばかやろう と言うだけの気力がおかあさんに残っていなくてラッキーだったな、君。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
October 9, 2010 01:57:03 PM
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