いつか何処かで…。8
倉敷は今日一日鬱陶しい日だった。が、気温は上がっていた。私はこんな日は苦手としていた。頭に雲がかかっているような状態である。思考力はなく深くものを考えることはできない。こんな日は一日ぼんやりと過ごすことにしている。書き物をすると直すのが大変、変換ミス、脱字、語彙の間違いに気づかないということが頻繁にある。だから書くことはしない。
今日、夜這いというアマゾンの話を書いておられた人がいた。
何時の世も同じであるが日本には夜這いの風習が戦前まであった。男はそこで男になり世の中に出ていき女性を愛することを学んだ。これは非常に合理的な風習であった。その手ほどきをしたのは行かず後家さんと未亡人の人たちであった。これは相互の利益が一致した。昔は女性は子供を産み育て、男は戦場に赴く、そこで未亡人がたくさんいた。この人たちは女性の本能と男の本能を結び付ける天使になった。これらの人たちがいなかったら今の様な男女関係になって殺伐とした世の中になっていただろう。取り締まられることもなくみんな合意で行われていた。一番社会の主役でもあった。
今、その風習があることを聴かなくなった。
女性の体験の低齢化、男性の高齢化、中高でみんな飽きが来て結婚、恋愛も億劫になっている。そこに男女参画とかいう社会を作りより男女の隔たりを広げた。男は結婚をしたがらなくなった。遊びなれた女性などいらないということだ。また、結婚の高齢化、遺伝子に傷ある男女からは生まれてくる子供がかわいそうである。昔は初潮を迎えると嫁に行き十代で子供を作った。すこぶる健康な時に生んでいる。それが、世界の常識としていたころである。人間が今あるのは動物が持つ子孫をいかに残すかということを凌駕している。人間は人口を増加させた。
世界の王朝などは、自分の財産を人にやることを良しとしなくて近親の風習があった。それ故に短命で奇形児が生まれその王家は没落し、また侵略によって消えている。この姿はどこの国にもあった、朝鮮の試し腹などの風習が残っている。この風習も世界のどこでもあったことで朝鮮だけではない、が、今も残っているのは朝鮮ということになる。また、黒人社会にも根強く残るものだ。
古代、男が女性を求めなくなった時期は何度かあって、女性がいかに困ったかということは記されている。
私はその筋の専門家ではないので、その時困り果てた女性が唇に朱を引いたら男が寄ってきたと記している。そこから化粧というものが始まり口紅を引くということが男にスイッチをいれるということに通じると女性はみんな紅を差すことになった。また、スカートを短くし肩も露出する、下着も男の心をくすぐるものに変えて行く苦労は今も続いている。これは両性の一種の戦争なのである。また、このことが男女の本能の発露と言えよう。
今、不幸にもそれが激しすぎて男女の感覚がマヒしていることだ。
私は何も大正デモクラシーにおいて女性解放を叫んだ人たちを非難しているわけではない。甘い言葉で優しく女性とはと囁いた人に罪を問うものではない。
今のように男女の社会を作ったのは女性ではなく男性なのである。それは女性の欲望を盾にして「解放」を謳い今の不均衡な世の中を作った罪でもある。
私は夜這いという風習があれば少しは違った風習が今を良い方向へといざなったのではないかと思い書いている。
頭が重い、働かない、・・・。
結論として優しい女性が男によって操られそれを信じて不自由な世の中にあることを憂いているのだ。
これは人類にとって決して最善ではない。このままだと男が女性を求めなくなることを予感する…。
これは私の個人の思考であり偏見であることを認識してくださればと…。