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年収三〇〇万円時代がやってきたらどうしょう、と友人が真剣に言います。
出口の見えないデフレ経済下で政府の悪政を誹謗し、年収三〇〇万円時代がやってくるなどとまことしやかに囁かれているけれど、それはノストラダムスの大予言と同じであると感じています。危機感を煽ることによって収入を得ようとする経済行為のなのです。 ノストラダムスの大予言とは、一九九九年に空から悪魔の大王が降ってきて、人類は滅亡するというものです。一九七〇年代から多くの関連書籍が出版され話題を呼びました。一九九九年が近づくにしたがってマスコミにも取り上げられ、ノストラダムスブームは加熱したけれど、今も人類は生存を続けています。当時、ノストラダムスの予言書の的中率の高さを過去の出来事にこじつけて証明してきたけれど、最も重要な一九九九年の予言が的中しなかったことで、ノストラダムスを語ることも火付け役の人たちのことを語ることもなくなりました。 一過性の未来予測ゲームだったのです。 そのとき私は思いました。 科学的根拠を持たない未来の予測など、当たるも八卦当たらぬも八卦の占いの世界と大差ないと。 科学的根拠、たとえばデータがあるにしても、やはり未来予測は八卦当たらぬも八卦の占いの世界と大差がありません。 政府が行う経済見通しも、いつもはずれっぱなしですから。 ということで、年収三〇〇万円時代が来るのか来ないのかは誰にもわかりません。わからないことを論じるのは言葉遊びに過ぎないのです。三〇〇万円でも豊かに暮らせるという理論は、金持ちと貧乏人の二極化を肯定し、経済的弱者を是認する思考でもあります。 穿った見方を、さらに飛躍し過ぎていますでしょうか? それはともかく、この年収三〇〇万円という金額について考えてみましょう。 現在、正社員としてのサラリーマンの平均年収から考えれば低い金額になるけれど、就職一年、二年の若いサラリーマンの年収よりは多く、ましてやフリーターの年収よりは遙かに多い金額です。 「年収三〇〇万円時代がくる」と論じた人たちにとってはもちろん低い金額です。 要するに年収三〇〇万円という金額が多いか少ないかは人によって違うのです。けれど、年収三〇〇万円では暮らせないと思っている人が多いから、危機感を煽る金額としては適当ということになります。 年収三〇〇万円でも豊かに暮らす指南書も登場しているますが、年収三〇〇万円で豊かに暮らせる人がどれくらいいるのでしょう? 持ち家があったり、自給自足の生活を目指している人や、清貧思想を人生訓として実践している人、パラサイトしている人など、限られた人には可能ですが、一般のサラリーマンは貧乏生活を強いられる金額です。 社会保障費を天引きされ、家賃を払い、光熱費を払い、消耗品を買い、残った金額で食費に当てたとしても、切り詰めた生活を免れません。ましてや家族を抱えている人には、とてもじゃないけれど人間的な最低限の生活ができる金額ではありません。 年収三〇〇円で豊かに暮らそうという発想は、要するに他人事の発想である。自分は安泰だけれど、苦労している人たちの精神的な安定を図るため処方箋なのです。しかしこの処方箋では一時的な効き目しかありません。差別が生まれた頃の「上見て暮らすな下見て暮らせ」に近い考え方でもあり、どこか宗教的な思考パターンを感じてしまいます。 家族を持つという人間としての根源的な欲望を満たすためには、年収三〇〇万円では暮らせません。 年収三〇〇万円で家族を抱えて暮らしていけない限り、年収を増やす方法を考えるべきが積極的であり、自然な考え方です。 ここに、それぞれが自己責任の名の下に自分の生活を豊かにする努力をする必要性があるのです。 現在でも年収七〇〇万円のサラリーマンは天引きをされ、月々の必要経費を引けば、残りは僅かとなり、家族を抱えていると貧乏生活です。この貧乏生活から脱するにはプロ・サラとしての自立以外にはありません。 ちなみに現在はデフレ経済のため、物価は下がっていますが、給与もそれ以上に下がってサラリーマンの生活は苦しくなっています。逆にインフレになって物価が上昇しても物価上昇率に給与が追いつかず、サラリーマンの生活は苦しくなります。サラリーマンは一部の人たちを除いて常に苦しい生活を強いられるのです。 悲しき運命は、諦めて流されていけば一時的には楽だけれど、詰まるところ苦しみの先送りですから、待ち受けているのは後悔だけである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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