猫のはーちゃ㉖旅立ちの日の事
はーちゃが 亡くなって 1週間が過ぎました。彼女が リンパ腫を患い 7か月間の闘病の記録をこちらのブログに残してきました。ブログに上げて行こうとしたのは、猫のリンパ腫で 多中心型 という記録があまり見つけられなかった事。(検索 にかかりやすいように 私もしていないから 同じかも知れませんが、あげるのと あげないのとは 大きな差と 思いまして。)リンパ腫の多中心型は 犬に多いらしいです。特に、私が知りたかったのは 最後をどのように迎えるか。 でした。少しでも 苦痛を回避してあげたかったのと看取るこちらの 覚悟をしておきたかった。でも、実際は 覚悟とか 回避とか はーちゃとした約束とか そんなに容易いものではありませんでした。はーちゃが 亡くなった時 私は 後悔と悲しみでいっぱいでした。私の後悔はーちゃが食べなくなり 8日目。お水は 前日まで 飲んでいました。寝たきりには なって居ませんでしたが 何度も何度も休んで お風呂場まで来て 濡れたままの 床に2時間近く お腹を 付けていました。痛みや不快感を 冷たいという事で 麻痺させて 居たのかも知れません。そして、また歩いては休みを繰り返し 自分のベッドに戻って行きます。そんな 彼女に 私はやらないと決めていた 強制給餌をしました。理由は、リンパ腫のしこりがどんどん小さくなり 殆ど触れなく成っていた事。記事はこちらそして彼女の生命力が強いと感じていたこと。はーちゃに 尋ねました。「ご飯を 少しお口に入れてみようと思う」なんの 感情も 伝わってきません。何日も 食べれていないのに 体が受け付けないのに 嫌に決まっています。必死に 最期を迎える準備を 彼女なりにしていたのに絶望を 感じたのかも知れません。夫にも話します。「リンパの腫れが無くなって居るから、体力が少しずつでも戻ればもしかしてと思う。でも、これがきっかけで亡くなってしまうかもしれない。どう思う?」結果、その日の 夕方 ロイカナの消化器サポートと最後まで好んで食べていたドライフードを粉にし、お水でペーストにし シリンジに入れました。量にして 2ml弱 ボールペンの 2,3cm の量です。ゆっくり、時間をかけて 少しずつ与えます。詰まらせない様に、お水も少し。それからはーちゃは、また私に背を向けてしまいました。自然に任せるはーちゃのしたい様にしてもらうと約束したのに、約束破った。 その日は、前日が満月 深夜0時に大潮の干潮でした。 夜中は起きて見守ろうと はーちゃに声をかけず夕飯後 夫にはーちゃを近くで見ていて欲しいと頼み私は2時間仮眠を摂ろうとウトウトしていました。 起きたら許してもらえなくても 話をしようと思っていました。その 1時間半後 18日の20時頃夫が「はーちゃの様子が・・」と言って起こしに来ました。急いで行くと、床の上に横たわり 意識の無い はーちゃが。呼吸も弱く、不規則。 脚が冷たい。食べ物が 体に入ったせいだと 思いました。一体 なにをしてんだ 私は。酸素ルームの酸素を引っ張って来、夫に湯たんぽを作ってもらい、背中と お腹を じんわりと温めます。その間、静かに声をかけ続けました。「 はーちゃ はーちゃ 」体を 優しく 撫で 冷たい脚も 握ったり さすったりし「 はーちゃ ご飯が入って苦しかったね。 」涙が 溢れて溢れて 泣いている場合じゃない後悔している場合じゃない と 自分に言い聞かせながら体中をさすりながら 話しかけます。「 このまま逝っちゃうの? 仲直りしようよ はーちゃ 」死なないで って気持ちより心を閉ざしたまま逝かせるなんて 申し訳なくて。出会いから 11年。 最後に こんな形で申し訳ない。正確な時間は 分かりませんが 30分くらい経ったでしょうかはーちゃの 脚が ピク と動きます。 何度か。そのうちに 鼻から 「プシー」っと 溜息みたいな息が聞こえて来てそのうちに 上半身が起き上がり ゆっくりと 自分のベッドに 戻って行くのです。いったい何が 起こっているんだ。すごいな はーちゃ は私は声をあげて 泣きました。お話するチャンスをくれたんだと思った。そのまま サヨナラも 十分あり得ただろうに。私は、1度だけ「 ごめんね 」を言い、後は どうして ご飯を食べてもらおうと考えたか改めて はーちゃの事を どう思っているかを伝えて、「 戻って来てくれて ありがとう 」と何度も 言った。それから 5時間後 19日の深夜2時過ぎ。0時をやり過ごしたので、夫と私は 一先ず自ら酸素ルームに入って行ったはーちゃの近くで 横になっていました。1時間位 仮眠した頃、私は 鳴き声が聞こえた気がして 起き上がり酸素ルームを覗いて見ると横たわっている はーちゃの 脚が 少し 動いています。ホッとし、名前を2回呼びます。呼吸を 見ようと お腹が上下に 動いているのを見ると動きが 止まります。夫を 呼び 確認するまで 1,2分の事でした。2024年10月19日(土)2時15分 はーちゃの魂は 体から離れて逝きました。最期の時までも、命をかけて配慮をし 旅立った はーちゃです。あのまま お別れだったら 飼い主自分を責め続けるだろうな って思ったのかも知れない。死ぬほど しんどいのに 世話かけたね。そこまで してくれたのに 亡くなって数日は ものすごい 自責の念が ありました。それで はーちゃは 喜ばないのに せずには 居られませんでした。飼い猫を 看取るのは 3回目ですが7か月の長い闘病生活 を経て 見送ったのは はじめてです。正直、きつすぎて 立ち直れる気がしていませんでした。相思相愛の 恋人を 亡くしたようで 勿論、今も 恋しくて たまりません。そうなのですが それとは 別の感情も。今回の経験で、少し興味のある事に気づきもう少し落ち着いたら 少し動いてみようかなと 思っています。いつか、はーちゃに 再会出来ることを 楽しみに焦らず、少しずつ。一緒に 暮らし始めて 2か月目2013年 12月頃 の はーちゃ