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私は長い間、物心つかないうちから某宗教団体に入信?していた。
その縁は母親によるもので、父親は全く信仰心は皆無。 と言っても、母親の信仰心は?と問われれば 信仰心とはなんぞや? という新たな疑問が生じてくる。 某宗教団体で完璧に駒となって組織に従属した期間が5年間ある。 それは1996年5月から2001年4月までである。 この宗教団体のおかげで、私は幼いころから仏法哲学に親しんできた。 このベースがあったからこそ今の自分が「在る」と思っているから心から感謝している。 感謝にシフトしたのはここ数ヶ月の間のことなんだけどね。テヘ 自我というものが固執していると仮定して 「罪障消滅」「六根清浄」を目指しての挑戦としての信仰であった。 なので、組織下での活動というものに内観的にブロックがいつも付きまとっていた。 組織の立ち上がりの意識はたぶん非常に高いレベルだったと思う。 それがこの組織の良さであり、すべてであったと感じている。 周りに関心を寄せるということは 「依正不二」の原理から言っても、潜在意識において繋がることを 社会の実践としていることとなるから、意識レベルは高いのだ。 この原理はホ・オポノポノの哲理とも一致する。 ではなぜブロックが存在したのだろう。 組織の活動は「歓喜」からは程遠くなるのが実際のことだった。 「なんのため?」 「何に向かっているのか?」 大義名分をかかげて、組織のためが全てになっているのが事実。 誰もそれに疑問を感じていない人々。 組織を離れたら、個の繋がりも分断される要因にもなる。 日蓮、某宗教団体は「正義」を叫び悉く排他的である。 なぜなのだろう? と改めて疑問なのです。 組織の人はあたりまえなこと聞かないで。。。と言うに決まってる。 自分を含めせん 日蓮も虚空蔵(アカシック)に繋がるために ノウボウアキャシャギャラバヤオンアリキャマリボリソワカ を100万回唱えたと言う。 空海もそうである。 日蓮は宗教を開き 「ナムミョウホウレンゲキョウ」を唱え奉れ。。。と言い 空海は「ナムアミダブツ」を唱える。。。と。 おまけに日蓮は空海を・・・というより 真言を徹底的に攻撃対象としていることも 大きな???なんだけどね。 変じゃない? 素朴に思う疑問です。 「パワーかフォースか」においては、意識レベルを計る。 この10年間(著書の中ではなので実際は5年ほど前には)フォースからパワーにシフトしている地球上の人間の意識レベル。 日蓮や空海の時代のレベルはどうだったのだろう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 22, 2008 03:27:48 PM
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