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カテゴリ:book
「21世紀版『アルジャーノンに花束を』」というコピーがついてます。わたしは『アルジャーノン・・・』がものすごく好きで名作だと思ってるので、売り文句を100%信用した訳でもないけど、ちょっと読んでみようかなぁと思ったの。 で、 読了後の感想は・・・これはこれとしていろんな問題提議があって、良書だと思うけど、『アルジャーノン・・・』とはぜんぜん違うんじゃないかなぁ。 超長文になったので、覚悟して読むべし; ------------------------------------------------ 『アルジャーノン・・・』は、「幸せ」の意味と、喪失の物語なの。 『アルジャーノン・・・』の主人公は、知能が低くて自分が持っていないものを知らない、けど主観的にとても幸せ(に見える)。脳手術によって、自分が「持たなかったもの」や客観的に幸せでなかったことを知る。やがて、その手に入れたものをすべて失うことを知ることの不幸と絶望。 客観的に見れば、元の知能に戻ることはものすごく不幸にみえるけど、でも・・・得たものも経験もすべて忘れて「知らない」自分に戻っちゃったら・・・ 物語は結末を明確には書いてないけど、本人は主観的には「そして幸せに暮らしました」かもしれないと思わせる。 この矛盾と不条理が名作の所以だと思う。 何を持ってたら幸せなのか。そもそも持ってる事が、喪失への不安が不幸なのじゃないのか?とか。まぁ、そんな話なんだけど。 -------- 『くらやみの速さはどれくらい』の主人公は、「自閉症」というハンディはあるけど、本人に不足はないと思ってる。社会的にも、職もおうちも車も、趣味も友人も持ってて、問題なく自活してる(ように見える)。仕事の評価も高いし、友人からも尊敬される生活を送ってる。 それじゃ何が問題なのか。ノーマル(←文中に出て来る語彙なのでわたしがゆってる訳ではないです)が、ノーマルじゃない事を問題にする。ノーマルであることを求られる事に応えられない事が彼の問題。 これは、マイノリティーと人権がテーマだとわたしは思うのよ。 だから、自閉症者(障害者)を主人公しているのと、SF的なキーワードとして近未来、脳手術というのが共通している点だけで、ポスト「アルジャーノン」といわれるとしたら、それ自体がノーマルの曲解だと思うの。 そういう意味では、このコマーシャルコピーそのものが問題提議してるとも言えるけど。 もちろん、障害を持っているという事もマイノリティーの要素として描かれてるけど、この物語は社会的弱者としての障害者ではなくて、少数派として感じる多くの問題を描きたいのでは?と感じた。その点だけでも、『アルジャーノン・・・』が明らかに社会的弱者の主観に焦点を当ててる所と異なる。 今の自分で(自分が他人が)満足できないのか。 自分を否定してマジョリティーに合わせる必要があるのか。 + 保護と福祉の問題 少数派のために特別な何かを作るのは無駄なので、その少数派をなくしてしまおう。という。 現代社会は福祉が進んでいるように見えるけど、すでに「東横イン」のニュースでも社会的に表面化してきつつあるように、上から福祉や援助を強制されることは営利企業にとって,本音は嬉しくないししたくない。役所だって高齢者や要介護者への福祉が縮小傾向にあるのは事実。 良心と利益が葛藤して「ごめんなさい」が言えるうちはいいけど、自分の所為にしたくなくなったら、「あなたができない事が悪いのだ」という人がたくさん出て来るかもしれない。 アメリカの福祉や経済は日本より先行してるし、この著者は家族の中に自閉症を見てきているって事で、たぶん社会に何か危ういものを感じてるんじゃないかと思う。 さて、 で、 しかし、 でも・・・・・ ここまで考えさせられても、この物語の結論は釈然としない。とゆーか、よく分からない(笑 事実を述べることが大事で結末はなかったのかもしれないし、著者にも解決できない課題だったのかもしれない。 読むに値する良書だと思うけど・・・ SFジャンルとしては、まったくSFじゃないし(笑 物語りとしては、オチが甘いし伏線を落としまくってるし。 なんか、消化不良な感が否めない。 ので、やっぱ『アルジャーノン・・・』と比べてほしくないな、とゆーのが個人的な感想。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月14日 00時06分00秒
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