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開設以来休まず更新してましたが、精神的に更新すら出来る状態ではなくて・・・。
先週金曜の昼、母方の祖母が他界し日曜に葬儀がありました。 母方の祖父母は孫の中でも私を一番可愛がっていたと伯母達から聞いています。私が里帰りするのをいつも楽しみにしてくれてました。私も母方の祖父母が大好きで、祖父母の住んでいる高知県梼原の家と自然が大好きで、里帰りするのが楽しみでした。 バイクに乗ろうと決めた最初のきっかけも母方の祖父母の存在でした。 小学生だった私は、年に2~3度、両親の都合に合わせてしか帰省できない事にもどかしさを感じていました。 「大人になったらいつでも里帰りできるようになりたい。でも、私が車を運転して帰ってくるのは難しいから・・・バイクなら帰ってこれる!大人になったらバイクに乗って祖父母に会いに行くんだ!!」 祖父母が住んでいるのは山奥で悪路な上に狭い道幅の箇所が多く、松山-高知間の道路も当時は狭く曲がりくねった道路ばかり、その上車酔いの激しい私・・・自分で車を運転して帰省するには困難だと幼心に感じ、自転車が上手に乗れるからバイクも上手に乗れると思ったわけです。 親類縁者誰一人バイクに乗っていない環境で突然バイク乗りになった私。親戚一同不思議に思ってますが・・・祖父母がいなければ私はバイク乗りにならなかったでしょう。 大人になって免許を取ったものの金銭的理由でペーパーライダー生活が続き、親友からバイクを譲り受けた数ヵ月後・・・祖父は他界しました。 BALIUSを購入し自力で梼原へ行けるようになった時・・・祖母はすでに介護施設に入所、寝たきりで動く事も話す事も出来なくなっていました。 今年の9月中旬から危篤状態が続いていた祖母、会いに行きたくても転倒事故の怪我とバイクの不調で自力では梼原に行けない・・・幼い頃のもどかしさを再び感じ、自分に腹が立ちました。 「いつかバイクで会いにくるから待っててね」祖父母との約束を私は果たす事が出来なかった・・・私がバイクで帰ってくる姿を見せる事が出来なかった・・・悔しいです。 梼原には誰も住んでいない家と昔から変わらない自然が残っただけです。でも、私はこれからもバイクで梼原に帰り続けます。 祖父母が住んでいた梼原が大好きだから。祖父母との思い出がたくさん詰まった場所だから。 家のそばに建てられたお墓で祖父母は眠っています。 私が帰ってくるのを祖父母は笑顔で待ってくれていると・・・そう思いたいです。 家までの急勾配の坂道をバイクで上ってくる私を、ばあちゃんが「よう来てくれたが」って微笑んでくれてる隣で、じいちゃんが「そんなへっぴり腰でバイク乗ってどないするが!」と毒づいてるだろうな・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月19日 11時00分39秒
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