ゆとり教育は間違いなのか?
京都大学教授らが、ゆとり教育反対の署名を集めた、という記事が日経新聞に掲載されていた。分数が出来ない大学生が話題になったようだが、昔から分数が出来ない子供はいたと思う。ただし、そういう子供は大学には入らず社会人として別の道を歩んでいたと思う。経済発展による大衆の総中産階級化と大学全入時代到来により、そういう子供達も大学に入ることは驚くに値しない。ゆとり教育の結果だとは思われない。むしろ、そういう落ちこぼれを救うはずなのに逆の結果になっているとしたら、そっちがおかしいのであって、議論の方向を間違えてはいけない。問題なのは、学力低下が中位から上の子供達の学力低下によるとしたら、それは相当根が深く深刻なのではないだろうか?文部科学省は、学識経験者の意見では無く、現場の実態をよく知っている小中学校の先生達からの実態調査を進めてほしい。企業人の立場から子育てしながら感じたのは、現在の問題はゆとり教育とは関係なく、自分で考える力が衰えているのではないかという懸念である。勉強に追いたてまくられて、友達と充分遊んでいないのではないだろうか?ゲームやテレビの馬鹿番組で自分というものを考えるゆとりが無くなっているのではないだろうか?生きる力を蓄える訓練の場が衰えていないだろうか?もしかしたら今の社会が衰えているのかも知れない。コンプライアンスが叫ばれているが、一向に社会的不祥事があとを絶たない。凶悪犯罪も低年齢化し、子供への虐待が毎日のように報道されている。効率を追求し、結果だけを求めすぎていないだろうか?少子化の問題も日本社会の病理を反映した防衛本能の結果ではないだろうか?子供達は正直だ。小手先の改革で片付く話では無いと思う。詰め込み教育や競争原理を導入するのは逆効果になるのではないかと心配だ。生きる力を取り戻す教育を真剣に考えてほしい。