巨艦《日立製作所》の行方は如何に
電機業界の代表企業である、というより日本の代表企業でもあった日立製作所が、いよいよ抜き差しならないところにきてしまったようだ。戦艦大和のように大きな巨体が音をたてて崩れ落ち、沈んでいくがごとく、終わりを迎えつつあるように思う。時代の流れに対応出来なかったといえば一言で済んでしまうが、この10年以上のもがき苦しみを見ていると、やはり駄目だったかという諦めが漂う。特にこの数年の果敢な動きは、我々現場から見ていると少し違うなという違和感があった。GEやIBMをお手本として色々学んだ結果だろうが、結局日立製作所としてどうするかという自分達に置き換えた本当の意味でのコンセプトとか従業員が納得するような道筋が見えてこなかった。確かに積極果敢と思われる手も打ってきたように見えるが、実際は一歩も二歩も世の中から遅れて出した手であって、再生への足がかりにはならなかった。特に半導体事業という非常に難しい舵取りを必要とされる事業から何も学ばずお荷物として切り離し、重要な戦略カードを手放したかと思うと、逆にIBMからハードディスク事業を買い取るという無謀とも思える積極果敢な手を打ってみたが、結局読み誤りと言わざるを得ない結果になっている。最後に止めを刺すと思われる重大事故が本家本元の重電から発生したことは、客観的にみても相当厳しい状況に追い込まれたと思わざるを得ない。この事故の後始末はそう簡単では無いだろう。この1年くらいで片付けられる一過性の事故ではないように思う。この10年以上かかって辿ったあげくの最後に当然このような事態がくることが必然であったかのごとく起きた事故であると考えたほうが良いと思う。そのような事故の芽はいたるところに存在しており、日立製作所の歴代幹部もそのことは充分認識していたからこそ、一時は有名になった『落穂拾い』という事故撲滅対策が最も重要な企業活動として行われていたはずである。それが時とともに形骸化し、お役所仕事になってしまった。日立製作所と言えば、博士を大量に擁する憧れの大企業でもあった。中央研究所に入ることは、誇りでもあったはずだ。そこの改革も少し誤ったように思えてならない。心の支えであった中央研究所を中途半端なままにしておきながら、新たに基礎研究所を作ったものの今ひとつパッとしない。この10数年で色々な手を打ってきたが、ほとんど失敗だったと言っていいのではないだろうか。まずはその認識が持てるかどうかが問われることになる。そうでなければ何も反省がされず、失敗から学ぶことも出来ない。今回の重大事故にあたっては、本当に身にしみて責任を感じていることを世の中に示すべきである。会長辞任はやむをえないと思ったのは私だけだろうか?新しい社長もその決断が出来なければ、この先の改革は無理だとの自覚を持っていただきたい。そして今一度、何が誤ったのかその原因を真剣に考えていただきたい。単なるM&Aや数字のお遊びではこの先に希望は無い。コンプライアンスが重要なのではなく、それ以前に日立製作所が、世の中が納得するメッセージを発していけるかどうかが本当の意味でのコンプライアンスを掲げたことになるのだと思う。現場からの意見を言わせてもらえば、このような事態に至った本当の原因というか主因は、優秀な人材にあぐらをかき、本当の意味での人材育成を怠ったつけが、とうとう重大な事態を招いたと思っている。社訓である[和、誠、開拓者精神]を心の底から再認識し、次の時代へ向けた心から感動を得る事が出来るようなメッセージを世の中に提供してほしいと心底から望んでいる。