会社は何のためにあるのかを考える
この3月で早期退職でたくさんの人が辞めていった。その前に派遣者もその数倍の規模で辞めることになったわけだから、大企業に働く人がいっせいに辞めていったわけだ。何しろ工場の稼働率が半分になってしまったのだから、仕事が無いわけで仕方ないかとも思うが、なんとも言えない気持ちだ。数年前にも同じようにたくさんの人が辞めていったが、そのあと本当に回復したかといえば、そうではない。それは利益率を見れば明らかだ。90年代のバブル崩壊以降、何度となくリストラが繰り返されてきたが、本当の意味で構造改革が出来たかというとそうではなかった。この20年間を振り返ると、むなしい気持ちになることもある。我々の会社は世の中の役になっていたのだろうか?そこで働く従業員はこれでよかったのだろうか?いつも後だしの施策ばかりで疲れ果ててしまったような気がする。会社生活もそろそろ終わりに近づいてきたが、会社生活は人生そのものでもあった。もちろん子育てもしたし、家族のために必至に働いてもきたつもりだ。それなりに苦労もあり楽しいこともあった。人生とはそういうものだと思うが、いまひとつ燃焼できていない部分もある。それは何なのだろうか?いよいよ最後になって、会社とはいったい何のためにあるのかという命題を考えるようになった。本当にこれでよかったのだろうか?世の中のためになっていたのであろうか?ただ働くための手段になっているだけではなかったろうか?世の中の生活は格段に便利になったけど、それは人間の幸福にどれほど役にたったのだろうか?平成維新とかいう人もいるが、いまは本当に大変革にある最中だと思う。いまこそ新しい仕組みを作っていかねばならないと思う。業界再編と言っても、同じ赤字会社が一緒になっても意味が無い。また、公的資金をあてにするだけでは到底次の時代に生きるのは無理というものだ。世の中に対するスタンスを、もう一度根本から見直す必要がある。昔の国鉄ではないが、新会社をつくって一からやり直す体制に出来ないだろうか?日経ビジネスに『さらばニッポン半導体』とまで書かれたのだから。