勤労統計問題の本質は何かを考える
国会では勤労統計の不正問題から始まって、各種経済統計についても不正があったのではないかということで与野党攻防がなされている。森友問題では公文書書き換え不正まで起きてしまったが、結局は最終的にどういう結論になったのだろうか?いろいろなことがあり過ぎて、重要なことが見過ごされていくのは怖いことだ。マスコミも一過性で終わらないで、粘り強くこれらの問題を継続して取り上げてほしいと思う。一連の不正問題を考察してみると、製造業による検査不正問題と同根ではないかと感じるのは私だけではないだろう。また東芝の会計不正問題や、日産のゴーン問題なども、経営者の言動が、いかに企業の存続にまで関わって来るかという問題を提示している。霞が関官僚機構も大企業の管理組織も、優秀で真面目な人達が、モラル崩壊を起こしている。官邸や経営層の掲げた目標を達成しようと、悲しいくらいに忖度をして、真面目に辻褄合わせをしている姿は何とも惨めに思えてくる。今度の統計不正問題でも、最初は過去にとらわれずに統計手法の見直しを議論していたのだと思うが、政治家が口先介入したことで、ゆがんだ方向に進んでしまったように思う。また、ただでさえ忙しい官僚たちや企業の現場にとって、限界を超える要求にさらされて、これくらい大丈夫だろうという安易な道に流れてしまった。それが代々引き継がれていった結果、最終的に現場担当者のモラル崩壊を起こしてしまった。それを知りながら、見て見ぬふりをしたことで、結果的に自分たちの組織崩壊に至ってしまう。今の日本は、崩れ行く日本の姿を象徴しているように思う。新しい芽が育っているかも知れないが、それが大きく育つ前に大崩壊を起こしそうな予感さえしてくる。児童虐待やいじめ問題が毎日のように報道されているが、今まで氷山の一角だと思われていたことが、社会全体の現状を映し出したように思える。国民全体が、危機意識を持って考えないといけないところまで追い込まれているのではないだろうか。何故こういうことになっているのか?バブル崩壊から始まり、デフレの長期化、インターネットの技術革新、SNSによるコミュニケーション手法の変質、少子高齢化、経済格差などなど、今までの価値観を大きく変える出来事が繰り返されてきた。そういう流れに社会全体が戸惑い翻弄されてきた結果、自分の立ち位置を見失っているのが現在の姿だと思う。平成時代が終わろうとしている。今こそ、一人一人が自分の生き方を真剣に考えて、次世代の在り方を模索し行動していくことが必要だ。何かおかしいと思うことは、たとえ少数だとしても意見を言おう。私もそう長くはない歳になってきたが、次世代のために発信していきたいと思う。にほんブログ村