「書く」という行為は同じ独白でも「独り言」と違う。
必ず向き合う相手を想定している。
書き残した後に再び読み返す自分も、
あるいは見ず知らずの第三者でも、
それは同じことだ。
【2005.5.1全部改訂】
例えば仮に何かを伝えたいと思ったときに「コトバ」を綴ろうと考える。
それは大したこと、
ではないかも知れない。
けれども書き連ねることから自ずと、
ひとつの「かたち」が無意識のうちに生まれてくる。
その「かたち」を求めて、
また書き続けるのだろう。
【2005.6.20補追】
そういう状況にある。それは一種の安定である。けれども絶望的な安定である。そういう類の状況の固定化が今の安定の本質である。その安定は匍匐前進の様にジリジリと物事を現実を前に進めていく。けれど状況がどうなろうと無頓着である。それが1年間の状況だったと思う。
ある意味で掠め取られた或る物が容易に取り戻せないという逆説。その現実を今、正に体験をしている。そういう皮肉な時代に生きている。その自覚を持たないと今後の状況を自分なりに消化できない。そういう「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の時代に正に突入したのである。
この鬱屈した世界は容易に変わらない。それは過去を振り返ると十分に理解できる。その間に自分自身にとって如何に耐え切れない状況が発生するか。その不安を払拭するという事にこそ個人のエネルギーの大半を割かなければならない。そういう時代に突入をしてしまったのだ。
その酷さ加減が加速度的に急速に悪化している。そのスピードについていけるのかという不安そのものが払拭できない。そういう状況に達している。どこまでも底なし沼みたいに沈んで、そして、もがき切れない。そういう無茶苦茶な現状が何度もフラッシュバックしてまうのだ。
いったん裏切られた関係性は容易には再び癒着しないのか。そういう問いをとりあえず立てて様子を見る。そういうスタンスでしか当座は乗り切れない。そういう間に合わせでしか日々の生活を納得させられない。そういう縮み上がった感覚をどうやって払拭しているのだろうか。
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