そんな嘆きが松下政経塾あがりのバカどもが跋扈する日本の政治状況を見るにつけて増幅していく。いくら立派な家電を真似しても、肝心の電力の問題そのものに好い加減な無定見ぶりを晒しては、それこそ国家存亡の危機、というものだ。いったい何なんだろう。
いわば核燃料プールが、日本国内に未だ存在する50基の原子力発電炉そのものよりも深刻なのではないのかという懸念を福島第一原子力発電所の第4号炉におけるボロボロの核燃料プールに抱かない方が異常だということである。その不安を誰も払拭できない。
ましてや核燃料リサイクルを標榜する六ヶ所村では、運び込まれた核の使用済み燃料が未処理のまま収納保管場所の確保すら覚束ない始末で、ようやっと最近になって2年間屋外に放置されていた使用済み核燃料が形だけ屋内にしまいこまれた程度なのである。
この「便所のない自転車操業」の解決が見出せない危険な核廃棄物を増殖させる原子力発電所の稼動を放置したって問題は日増しに深刻化するだけだ。なぜ今は省エネルギー技術の向上だとか思いつく限りの省エネルギー対策を総動員しないのか。腑に落ちない。