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カテゴリ:その他
今 考えること
何のために生きるのか。真剣に考えなければいけないこと。 「生まれてきたので生きなければいけない」「命は大切だか ら」といった理由で、生きなければいけないのか。死んでは いけないのか。 この世界がビッグバンを始めとする進化論からなるもので今 現在があるのなら、何のことはない。それらが偶然の重なり でここまで来たのなら、これからも偶然で生きていけばよい のだし、何の責任もないのだろう。では何故生きることに執 着するのか。自分と考え方や思想などが違う者を悪者扱いして まで、自分の正しさをアピールするのか。「戦争反対」などと いいながら、他者の生き方を否定している輩はいっぱいいる。 自分だけで相手を悪者にできなければ、回りの人間を仲間にし て責め続けるのだ。周りの人間もだんだんその気になっていく。 いつの間にかその様子がその通りとなってしまう。でっち上げ。 自分が生きるために、他者に媚諂う必要も、認めてもらう必要 もないのだ。自分は自分なのだし、別に他者に迷惑をかけるの でもないのだ。往々にして、自分の信条と違う状況や様子を他 者に見え、それが大勢に認められるとき、自分があたかも否定 されてしまったかのように錯覚する。また、「それが良いのだ」 と皆が言い出したとき、追い討ちをかけられる。これもまた、仕 組まれて起こることが多い。 この世界を造られた者に意思があって、その意思によって世界が 造られこの世界が司られているとしたら、その意思を知りそれを 自分の思いとし、それに生きることができれば、それこそが自分 の生きる目的なのだ。私はその意思が神であると思っている。そ の生き方は「幸せだ」と言える生き方で、それに全てを掛ける生 き方に踏み出したい。失敗してもそれで誰かに責められても、そ んなことは関係ない。意思である神にさえも認められる必要もな い。何かをしなければ受け入れてもらえないというようなことな いのだから。これが自分らしく生きること。 良い人になろうとすること、良い人であろうとすること、良い人 を続けること、良い人であること、が自分らしく生きることをさ せまいとするものだ。また、「良い」を「正しい」に置き換えて も同じことが言える。自分らしく生き、また他者の存在を認め合 うことだ。 つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 21, 2007 09:14:20 PM
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