カテゴリ:信仰
えーと、カトリックに興味を持ってミサの見学をし始めた頃、うひゃーと思ったことがありました。
みんな一斉に、立ったり座ったり跪いたり前に出て行ったり戻ってきたり、するんですよね^^;。 跪き台は、前の長いすの下に、折りたたみ式で付いています。ここぞって時に、引き出して使うのね。これは、小教区のチャペルの様子。 まあその頃は様子見だったから、後ろのほうの席にひっそり座っていたんです。でも、一応、立つ座るくらいは合わせたい。それが大変なんです。 周囲が急にガタガタッ!!と立ち上がるのに、ワンテンポ遅れて立つ。次には座るのかなっと心の準備をしていても、みんなは一斉にズサッと垂直におりて跪いていて、長いすに尻もちついてるのは私だけだったり・・・、と、非常に居心地の悪い時間を過ごしました^^; (その他、聖書もパンフレットも持っていないのに、皆が唱える言葉を全部知っていてぶつぶつやっていることなども^^;。まったくもって、なんじゃこりゃあ(@へ@;;)?の世界でした。 これがプロテスタントだと、親切に、「週報」なるものに、式次第が載っている。ここは賛美歌ね。次はこの祈りね。ここは司式と交代で読むんだよ。聖書は何ページなんだ。ついでに説教の要約まで載せちゃうからね、という芸の細かさ!立つときには「ご起立願います」なんてアナウンスがあったことも。) まあ、カトリックだと、「生まれたときからカトです」って人も多いし、ミサの流れはもう体にしみこんじゃってて、説明不要ってことなんでしょうね。(でもそれって、宣教的にはどうなんだろうねえ^^; てな感じだったのですが、めでたくカトリックになった今では、自然に体が動いて、立つ座る跪くも無意識でできるようになった(ような^^;)。 それで、跪き台の無い教会に行くと、さみしいし、そのことを忘れてると、つい跪くところでガクッと床まで落ちてしまいそうになることも。 姿勢や動作って心に与える影響は大きいですよね。だって、ふんぞり返った状態では謙虚に祈ることなんて出来ないと思うし、聖書を枕に寝っころがって祈るってのも、それがいつもではちょっとなあ。(←寝ながら祈ったつもりになってること多いんですけどね。さすがに聖書を枕にはしませんが^^;。) だから、学生センターのほうに跪き台ができるって聞いたとき、ちょっとうれしかったんです。(この話も長いな。ごめんなさい/^^; つづきます) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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