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カテゴリ:うちのごはん
『いのちの食べかた』森 達也 理論社/ ISBN:9784652078037 図書館で借りて読んでみた。 平日はお肉を食べないけれど、 完璧なマクロビアンや、ベジタリアンになる気はない我が家。 牛や豚、鶏を食べること、どう捉えたらいいのか? 娘にどう教えたらいいのか? 自分自身どういう気持ちで食べているのか? きちんと整理して考えてみたいと つねづね思っていた。 去年のクリスマス、はじめて丸鶏を焼いてみて、 なんてグロテスクなんだろう!! やめればよかった!! と一瞬思ったけれど、 生きものを食べるというのは、グロテスクなことだということ。 年に一度のごちそうで『感謝していただく』ということ。 (普段、質素であるべきも含めて) 『屠る』という言葉の意味。など考える機会になった気がした。 今年ももうすでに注文してある。 そんなこともあって、 まずは…という気持ちで読んでみた。 読んでみると、思っていたのとは少し違う内容だったのだが…。 最初はどんなふうに屠殺されているのか、 具体的にかかれてあった。 中学生向けの本なので、優しく易しい言葉で説明され、 100%ORANGEの可愛いイラストにもかかわらず、 「もう食べらんない」と一瞬思うほど残酷だった。 この本も私も「かわいそうだから食べないで」などと 乙女なことを言うつもりはみじんもない。 筆者が言いたかったのは、 ほんとんど知らされておらず、 また知らせるすべもほとんどないその残酷な行為を 『誰がやっているのか知ってほしい』ということだった。 被差別部落民の問題。 狭山事件などを例に挙げ、差別の実態や、 歴史をさかのぼってのことのはじめについて語っている。 そして『知る』ことの責任、 『知らない』ことの無責任。 本では言及していないが、 食肉偽装問題、狂牛病、鶏インフルエンザ、と あとをたたない食肉加工業の問題にも、 そのことが言えると、私は思う。 どんなふうに肉が製造されているのか? 知ろうともしないで、ただ安さだけを求める消費者。 『いのち』の値段は安くないのだ。 きちんとした飼料で、きちんと育った『いのち』。 正当な対価を支払うべきだと思う。 加えてそれを屠った人の、現場だけではない大変な苦労。 特別な時に、貴重な食べ物として 大切にいただいてみたいと思う。 それにはまず知らなくては。 本の中で、戦争に例えて語っている部分に共感した。 『だまされる者の責任』 ほんとうに国民はだまされていたのか? 一部の戦犯の狂気だけで戦争はおこったのか? 映画監督 伊丹万作の言葉を引用している。 『あんなにも雑作なくだまされるほど 批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、 家畜的な盲従に自己をゆだねるようになってしまっていた 国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが 悪の本体なのである』 もちろん、だますほうが悪い。 私は、当時の国民をここまで言うつもりはない。 批判したくてもできなかったでしょー!! と思うし。 著者は狭山事件に代表される非差別部落問題も こういった国民の気質が原因だとして引用している。 私も、この言葉は、いろんな意味において、 昨今の日本人にもピッタリあてはまるように思う。 食品偽装しかり、タレント議員しかり、 ニート問題しかり、タミフル問題しかり…。 もっと自分の頭でものを考えようよ。 今は言論も自由なんだから。 まったくおなじタイトルの映画もあって、 十三の『第七藝術劇場』で公開中である。 ドキュメンタリー映画『いのちの食べ方』 http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/ こちらはどんな内容なのかな? しかもコープ自然派会員は割引なんだとか。 今週末、いってみようかな?と思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 19, 2007 01:44:44 AM
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