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テーマ:F1ニュース・レース(2364)
カテゴリ:F1
まずセバスチャン・ベッテル(RBRルノー) 、優勝おめでとうございます。
ドライバーズポイント2位を誰がとるか、面白くなってきましたね、 この席が誰が座るかによって、来期へのイメージがかなり違いますからね。 (もっとも、ストーブリーグには関係ないでしょうが) ヤルノ・トゥルーリ (トヨタ)も頑張りました、トヨタとしても地元レースでの面目を保つどころか、上出来ではないでしょうかね。 でも鈴鹿でホンダがいないのは、本当に経済の不況をあらためて実感しますね、もちろんF1より一人でも首切りをしないことのほうがはるかに大事なんですが、寂しい御時世です。 時間の関係とスカパーの関係で今回はじっくりF1を見る事が出来ましたが、あらためて以前よりルールが複雑過ぎることを実感しました。 レースも、各マシンがピット事情が違うので、目に見えるレースをしているのは最後の数周、その時に差があると、真デットヒートが見れないですからね・・・ もう一点は、複雑のルールの為、本来は各自動車メーカーの性能比べの品評会でもあるはずなのに、スポーツ性を高める為の力の差の圧縮がされているので冷めてしまうんですよね。 今回もマシン調整でのペナルティーの多いこと、ルールは難しいし、懸命にチューニングするよりも一発勝負で運の良いほうが有利ってのもいかがなものか・・・ まあ、資金問題は一様の決着はついたもののダーティーなイメージはまだ払拭されない。 せめて、マシンテストの禁止だけでもどうにかならぬか・・・ そんなこんなで、冷めてしまって最近は録画すら忘れて見逃すことも多いF1ですが、毎年、必ずと言って良いほど地デジで録画を欠かさないGPがあります。 (お蔵入りしていた文章ですが、この際ドサクサにまぎれて公開します。) F1グランプリ、モナコGPモンテカルロ市街地コース コート・ダジュールと呼ばれる地中海を横目に走る海岸線の小国、モナコ公国の市街地の公道を封鎖して行われるインディ500、ル・マン24時間レースと並び「世界3大レース」の1つです。 市街地コース特有の狭いコース幅のレースであることから「絶対に抜けないモンテカルロ」とも呼ばれ、名物の難解なコーナーの連続で、最高速を出せるマシンより操作性の優れたマシンのほうが有利と思われがちですが、意外とホームストレートやトンネル(バックストレート?)などでの高速バトルが重要なトータル的なマシン性能が必要とされるレースです (マシンの操作性を問われる鈴鹿サーキットでホームストレートや130Rなどの高速コースに目を惑わされることの逆ですね) そして何よりオーバーテイク(追越)をはじめドライバー個人の実力が一番露骨に楽しめるレースですね。 そこにニース、カンヌなどと並んで美しい地中海とコート・ダジュールの景観を持ち、モナコ特有の豪華な建造物の数々に囲まれた素晴らしいコースレイアウトは、是非、地デジでの観戦をお勧めしたレースですね。 元々、モナコは世界で2番目に小さく、国連加盟国の中では世界最小である大公(公爵)を元首とする公国、 タックス・ヘイヴン、つまり所得税がないため、モナコ国外からほとんどの収入を得ている富裕者の多くがこの国に国籍を置くことを希望するが、強力なバックアップが無いとかなり困難な為、モナコに在住することは一種のステータスとされています。 但し、国政自体は多くの寄付で行われている為、本当の富豪かどうかは、その内訳で判断出来るらしいです。 ただ、アイルトン・セナや鈴木亜久里などF1ドライバーの多くがモナコのマンションに自宅を所有、1988年第3戦モナコGPでトップ独走のセナが信じられない凡ミスでクラッシュ、ショックのあまりリタイア現場からそのまま自宅に帰ったというエピソードが有る位です。 そんなセナですがここでは最多6勝でグラハム・ヒル5勝(デーモン・ヒルの父)と並びモナコ・マイスターと呼ばれています。 元々モナコGPは勝者はモナコ大公家に盛大祝福される上、レーニエ大公がハリウッドの人気女優・グレース・ケリーと結婚した為、モナコ大公家の世界的な注目度は高く、レースの過酷さとそんな注目下でモナコGPでの勝利記録者がモナコ・マイスターと呼ばれるのもうなずけます。 また、セナ、グラハム、グレースと三人とも偶然にも若くして事故死したというのも、皮肉にもこのGPの権威を高めています。 (ちなみにレース大国英国の故ダイアナ王妃も例外なくレースを愛し、何度か観戦姿を中継されています) そしてセナに「モンテカルロの王者」とか「音速の貴公子」と言ったあだ名がついた所以もこのレース、逆に「無冠の帝王」とか「レッドファイブの荒法師」と呼ばれたマンセルは一度も勝てませんでした。 そんなモナコGPでF1至上最高と言われるデットヒートが争われたのは1992年第6戦 92モナコGP セナVSマンセル F1 LEGENDSバージョン ‐ニコニコ動画(ββ) (是非HQで魅て下さい!!!) この年は大きなF1の転換期でした。 ディフェンディングチャンピオンのセナの乗る最強マクラーレン・ホンダが絶不調(セナがシリーズでなんと4位(ミハエル・シューマッハが三位))、そもそもハイテクを装備していない旧スタイルのマクラーレンのシャーシーに、長期低迷中だったフェラーリと同様に、重く燃費の悪い12気筒のホンダのエンジン(そこにバブルの崩壊により資金難も手伝ってホンダ第二期の最終年となった、ちなみに黄金期を創った桜井・後藤と言ったベテランスタッフはチームから去り若い世代のホンダの晩年であった) それに対してチャンピオン殺しとまで噂されるF1史上最高のマシンと言われるハイノーズのフロントウイングが特徴の空力の優れたシャーシーに、セミオートマチックトランスミッション、アクティブサスペンション、トラクションコントロールなど最新鋭のハイテクで武装したウイリアムズのFW14と呼ばれるマシンに、ルノーの軽く強力な10気筒エンジン(このルノーRSシリーズの活躍により、V8やV12は不効率とされ使われなくなっていく)のウイリアムズ・ルノーの独壇場でした。 その年のモナコでのレース ここまで前年のセナの開幕4連勝の記録を上回る開幕以来5戦連続でポールトゥウィンを飾っている首位のウイリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルのペースに付いていけない2位セナ、しかし6連勝を目前にしたマンセルがレース残りわずか8周となった71周目に予定外の緊急ピットイン(スローパンクチャーと言われるパンクの予兆症状をコンピューターが感知した為とされるが、事実は未公表) マンセルがタイヤ交換を終え、ピットアウトした時には、セナが首位に立っていた。 しかし、フレッシュタイヤを装着したマンセルが、ここからセナを猛追する。 74周目には予選6位に匹敵するほどのファステストラップを叩き出すと、残り3周でセナの背後に迫る。右に左にマシンを振りながら僅かな隙を突こうとするマンセルに対して、セナは僅かにレコードラインをはずしながら要所をおさえ、つけ入る隙をまったく見せない。 タイヤが限界に近いセナは、ヌーベルシケインの進入でリアをスライドさせながらも巧みにコントロールし、ミスもしない。 (実はあの時にセナには審判から2.3度ブルーフラッグが振られている、つまり後ろのマシンに対して明らかにスピードの差があるので危険なので譲りなさいとの警告、これに関しては同一周回マシンに対してのペナルティー基準は明確ではないが、ファイナルラップでは審判が振るのを止めレースに食い入るあたりが、このバトルの素晴らしさを物語っている) マンセルは狭いコース幅を一杯に使い、あらゆるコーナーでインからアウトから果敢にオーバーテイクを狙うがかなわず。押さえきったセナが、わずか0.215秒差で首位でチェッカーフラッグを受けた。 シャンパンファイトでは二人とも疲労しきっていて、マンセルはシャンパンの雨の中、路上にへたり込んでいた。 このレースではマンセルの開幕6連勝を阻むと同時に、この一年後にはセナ自身モナコGP5連勝を達成。通算では6勝となり、モナコマイスターと呼ばれたグラハム・ヒルの記録を越えた。 ちなみにこの1992年のレースはモナコGP50回目の記念レースでもあった。 フジの三宅アナの「絶対に抜けないモンテカルロ」という伝説の実況を生んだのもこのレースです。 (不運なことに古館アナは体調不良の為欠席、三宅アナは代行での幸運でした) また、この頃のモナコGPは各シーズン、チームやドライバーの転換点でもありました。 1991年はレース後、プロストと確執が勃発していたチェーザレ・フィオリオ、フェラーリ監督解任(アラン・プロストとジャン・アレジのコンビで0勝)またそれと同時にセナの開幕4連勝が次のカナダGPで止まりマクラーレン・ホンダはシーズンにおける失速していく(チャンピオンとコンストラクターズはゲット) フェラーリ監督解任劇は後にプロストのチーム離脱に影響し、彼は一年の休養に入る。 上記の1992年はレース後、マンセルのシーズンにおける一時的な失速を生み、後にチャンピオンになりながらウイリアムズチームを追われるという奇怪な現象の発端の一因となる。 1993年のこのレースではマシンの実力で跳びぬけていたウイリアムズのプロストがまさかのスタートのフライングでペナルティ、そしてペナルティストップで二度のエンストでセナに周回遅れにされる、プロストはこの年にチャンピオンになりながら、このようなチョンボの連続で独走が出来ず、「なぜ勝てぬ?!」のバッシングの中で精神的に疲れきり引退をする。 1994年のこのレースでは、前戦サンマリノ・イモラGPで事故死したセナ(ウイリアムズ・ルノー)とラッツェンバーガーの為に、レーススタート前にグリッドの最前列をあけ、PP(一位)のグリッドにセナの母国ブラジル国旗が、セカンドグリッドにはラッツェンバーガーの母国オーストリア国旗がペイントされた。 この年、ミハエル・シューマッハが初のチャンピオンになりセナプロマンセルの時代は終わりをつげる・・・ 本当にあの頃が懐かしい、タラレバではなく、このチーム、このドライバーだからこそ、この勝ちは当然と思えたものです。 もちろん一人旅や同門ワンツーのレース展開も多かったが、その絶対優位を覆そうとする、人の努力と発想は素晴らしかった 今は、ルールが変わったからねの一言ですんじゃうからな・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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