|
テーマ:ニュース(99939)
カテゴリ:日記
昨日の記事を見返していたら、文章もあんまり良くないし説明不足かなという
ことで、今日は昨日の続きです。 何しろ話題は「愛」ということで、まともに論じるとすると、ちょっとだけ照れます よね中年の男としては。「愛っていったい何かしら?」というのは中年男が真剣 に悩むよりは、むしろ女子中学生にバトンタッチしたい題目にも思えます。そこの ところを堪えて考えを進めましょう。 <国を愛する心は人それぞれが自分から思うものであって、おしつけられるもの ではない>という女子学生の文面を昨日掲載しましたが、明らかにこの愛は 自発的で自由です。 これに対して、軍国主義者が「愛国心を持て!」と言ったときの愛は、自発的 かも知れませんが、自由ではありえません。愛国心を持たないことは許されない のですから。愛という言葉の意味が一人ひとりにとって違う意味をもつということ も重要なポイントです。 この文面に書かれた愛は、<神=愛>のように解するキリスト教神学的な愛とも 解することができます。政治家よりも神様が上というわけです。また、キリスト教 や仏教は軍国主義から圧力や迫害を受けてきた歴史がありますから、キリスト 教徒の中に軍国主義アレルギーのようなものがあっても不思議ではないわけ です。国から愛国心を教えてもらいたくない気分は想像できますよね。 では、昨日引用した海音寺潮五郎氏の愛国心はどうでしょうか?これもまた 違う意味をもっていそうです。 <人間がある国に生まれるということはどうすることも出来ない運命であり、その 運命故にその国を愛し、立派にすることに努力しなければならないのです> という文からは、個人的な愛というよりは、儒教のいう「孝」に近い愛を感じます。 ソクラテスではありませんが、一つの愛を求めてきたのにたくさんの愛が見つか ってしまいました。困ったことです。 今回の「愛」はともかく、「徳」「正義」「勇気」等の基本的な言葉の意味をつきつめ ていくのに「対話」という方法を用いたのは、プラトン(またはソクラテス)でした。 「対話」以外にはないとも言っていたと思います。 毎日新聞のように教育基本法を「説法」として片付けずに議論してみましたが、 どうしても「説法」の中に引きずり込まれてしまう要素が確かにあるようです。何 なのか分かりましたよね! P.S. 「愛国」ではなく「忠国」とか「報国」だったら攻撃されなかったんですかね? より軍国主義的タームですけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[日記] カテゴリの最新記事
|