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テーマ:今日のこと★☆(106310)
カテゴリ:城主の独り言
大手門の「埼玉の古城址」はまもなく、430000番です。切り番ゲットの方には粗品を差し上げます。
今朝の地震にはびっくりしました。日曜夜も大きかったですから、ほとんど2日連続です。朝5時だったのでその後ビクビクでほとんど寝られませんでした。 今日の夕刊で「駿府城の石垣が崩壊」とありました。各紙大きく扱っていましたから、目にした人も多かったと思います。 (本当は他に面白いネタがあったのですが、静岡赴任の経験のある上司が「今日のブログネタは駿府だろう」というので・・) 新聞各紙としては駿府城の石垣崩壊は「地震の威力の大きさ」を表すには絶好のものだったのかもしれません。 2007年11月7日の日記に亀山城(三重県)のことを書きました。 dc110463 posted by (C)地黄八幡 亀山城 表は何事もないですね。 dc110467 posted by (C)地黄八幡 裏側 崩れています。ちょうど三重県中部地震の後に行きました。崩れた部分は昭和の補修部分です。戦国時代の部分は崩れませんでした。 駿府城は戦国時代、江戸初期の天下普請、江戸時代の補修、近代の補修・・と何度も修復をしてきました。今でもはっきりと修復した跡がわかります。 「修復した跡がわかる」ということは・・ 「適当だった」と考えられます。 石垣の積み方は年代によって変わります。きちんと積み直さず、古い石垣の上に新しい技法で積んでしまうと崩れやすくなります。江戸初期の天下普請も怪しいもので、しぶしぶ参加している外様大名は少々(?)手抜き工事をしていたのかもしれません(急がせたのか、駿府城の天下普請は異常に早い完成だった)。地震がある前からふくらんでいたり、崩れそうなところがありました。 亀山城の説明板にはちゃんと「昭和時代の補修部分が崩れた」と報告していました。駿府城もすぐに補修をしてしまうのではなく、「なぜ崩れたか」「何時代の物か」を検証してほしいと思います。 dc050527 posted by (C)地黄八幡 わかりやすい写真 07年春、出張で静岡に行ったときの写真です。 崩れたところではありませんが、何度も修復した跡がよくわかる写真です。 ↓■名古屋自慢の金シャチ輝く 名古屋城天守閣・絵付 720ml ↓■レーザー加工による精密な部品で、より忠実に再現する木製模型【送料無料】1/150木製建築模型 ↑励みになります。ポチしていただけると嬉しいです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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