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長いこと日記を書かないでいましたが、その間に無事に引越しもしたし、仕事も一つ増やしました。そして、ジェリーのおばあさんのお葬式がありました。
亡くなったのは22日の朝方で、詳しくは話を聞いていないのですがとくに誰が見取ったというわけではないようです。亡くなる前は具合がよくなくてホスピスに入っていました。 お葬式にジェリーくんがカメラを持っていったのですが、写真は取りませんでした。この日の午前中にVisitation(これは宗教によって呼び名は違います)というお通夜のようなものをして、午後に埋葬でした。普通はVisitationの次の日まで待って埋葬をするのですが、あまり人がこないと思われるときには同じ日にやってしまうそうです。 おばあさんの棺がステージの前にあって、家族はその脇に並んで来てくれた人、ひとりひとりに挨拶します。棺のふたは上下(左右?)に分かれていて、こういうときは顔が見えるように上半分を開けておきます。 アメリカでは土葬が主なので、棺桶はかなり丈夫です。棺桶の両脇には丈夫なバーがついていて、選ばれた人が(だいたい男の人)棺桶を運びます。 墓石は4人用で、旦那さんの両親、だんなさん(約20年前に没)おばあさんの名前が彫ってありました。こっちは埋葬で、おばあさんの場所が確保してありました。棺桶にはそれよりも一回り大きい金属のカバーを上からかけて腐食しないようにします。穴は結構深くて、棺桶は重いので埋葬は業者の人にまかせて昼食会へ行きました。 おばあさんは95歳だったので、たぶん友達もほとんど亡くなってしまっただろうっとお義母さんは思ったそうですが、かなり人は集まったと思います。平日でなかったらもっと親戚も知り合いも来れたとは思いますが。 Visitationはおばあさんが昔から通っていた教会で行いました。とくにみんなで歌を歌うとかはなかったのですが、神父さんが「おばあさんは昔小さなお店をやっていて、世界大恐慌のときにはお金がない人にも食べ物をわけてあげたりした」と言っていました。 このお店のほかにも倉庫の管理をしたり、家を買って大家として人に貸したりしていたので、それで知り合いは多かったようです。 お葬式ではおばあさん側の家族、だんなさんの家族(お義母さんの旧姓)、お義父さんの家族が集まってそれぞれの話を聞けてよかったです。でも埋葬の後に教会に戻ってお昼を食べて解散したので、とくに長い間みんな一緒にいたわけではなかったです。おばあさん側の家族の人たちは定期的に集まっているようですが、それに顔をだしなよって言っていました。 アメリカでも日本でもやっぱりお葬式のときには一番人が集まる、というのは一緒のようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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