「NEO RECYCLE CIRCLE (ネオ・リサイクル・サークル)」
ネオ・リサイクル・サークルの想い出 2(ぞんびさあくる時代と岡崎京子さんのことなど)
前回
ネオ・リサイクル・サークルの想い出(おしゃべりマガジン ポンプ発の音楽サークル)の続きです。
『ぞんび さあくる』vol.1-5 1981-1982年 (vol.5は紛失、どなたかお持ちの方貸して下さい)
会の発足人でもあったN.M.氏が家庭の事情で編集長を務められなくなり、代わりに大阪のT.I.氏が編集長を務める「ぞんびさあくる」時代へと移っていきます。ダークなイメージのサークル名が何やら不穏な空気を感じさせますが、巻頭の挨拶で「原発の汚水処理」との発言があることからどうも嫌々ながら引き受けた模様。サークル名変更とともに会誌のスタイルが変わり、それまで全てタイプで打たれていたものから各人が割り振られたスペースに自由に手書き原稿を書き、それをまとめるという形式に。
このことにより各人の表現の幅が広がり、より個性が発揮されやすくなり紙面が面白くなっていく。今でいう音楽ブログの記事を1冊にまとめたようなものだ。それまでもお勧めの音楽が手軽に聞かせてもらえるという点で重宝していた会誌も、会員の表現を含めてお勧めの音楽を体感するという面白みが加わり毎号毎号の発行が心底楽しみで待ち遠しいものとなる。レンタルレコード店すらなかった時代の田舎住まいの高校生には実に刺激的なサークルであった。(この頃会誌でよく目にしたアーチストは、SLITS , CAVARET VOLTAIRE , PHEW , SCRITTI POLITTI , BLACK UHURU とか。)
中でも私のアイドルだった岡崎京子さんの原稿は毎回イラスト中心のセンス抜群のもので目を見張った。公にするのも気がひけるのですが、あまりにも素晴らしい内容なのでそのうちの一つをご紹介。どうです、高校生にしてこのセンス!(少しシミで汚れてます。) 結局『ぞんび さあくる』は5号で終了、次の編集人は発起人のN.M.氏とも交流があり、ポンプ界隈でも精力的に活動されていた吉祥寺在住のS.T.氏*に変わることになる。(下記リンク先参照:近年はミシュランガイド日本版の仕掛人として活躍されている模様)
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その際に新サークル名募集ということだったので、当時ペンギン・カフェ・オーケストラの1stが話題だったこともあり私は名前を「ペンギン・サークル」にするようS.T.氏に手紙を出した。そうしたら暫くして一通の葉書が届くのだが、なんとそれは全く予期しない岡崎京子さんからのものだった。「T.K.氏*に頼んだSLITSのレコードは私が借りているから録音が遅れる。」「ペンギン・サークルという名前は私がボツにした。」「ははははははは」という何とも彼女らしい人を食ったような、それでいて親近感を醸し出すような豪快で気さくな感じのものだった。ハガキの日付は82年4月25日になっているから私が高校3年生、彼女が短大1年生の時の話である。その日以来このハガキが私の宝物になったのは言うまでも無い。
(続く)
* S.T.氏、T.K.氏ともに単行本「くちびるから散弾銃」だったかの友人の近況回顧みたいなコマに登場する。
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