無い物ねだりだったと思う
塾は学力をつけるところそのためには、こちらが主導になってぐいぐい引っ張っていく生徒は、先生についていけば良いんだ と頑張る理想的な関係ではありますが、やはり度を超してしまうと、共依存の関係になりかねない先生は、いつまでも生徒の面倒を見られるわけではないのです(このあたりは、サワダ先生のブログで学ばせていただきました。ありがとうございました)そこに気がついた私は、最近はある意味緩くしました学力をつけるための大枠を決めて、あとは自由に泳がせる必要以上の強制力は働かせないそうすると、子供達は考えるんですね何をやるべきなのか何をやるべきではないのか今回の期末の結果だけを見ると、そう悪くはない抜群に良いわけではないかもしれないけど、上々の成績だ商売的には劇的に改善できた方が良いのかもしれませんが、語弊覚悟なのですが、どうもそういうやり方にはある種のエゴを感じてしまうのです。子供達の将来を思うと言うよりは、塾の名誉が優先されている気がしてならないのですもちろん、本当に生徒のためを思っているところが大半だとは思います私の勝手な思いこみかもしれませんし、そう願いたいですよく考えてみると、私が子供の頃にも、いわゆる指導熱心な先生はいました熱血先生はいましたでも、私は苦手だったんですよね、そんな先生自分で何とかするから、かまわないでほしい・・・何かあったら聞くから。そう思っていたんですね(これは今もあまり変わらず、買い物でも店員に話しかけられるのを極度に嫌いますから)勝手に自分で常識だと思いこみ、自分が苦手だったことを、今生徒達にやろうとしていたどうりで違和感だらけだったはずです。不思議なことに、私の生徒もどちらかというと、自立心旺盛な子が多いような気がしますルイトモなのかもしれません道は人それぞれなんです何が良くて何が間違っているかなんてない私はこのやり方が性に合っている、というだけです。そう気がつくと、自分で自分の道を歩くという、覚悟が定まります。孤高と言う言葉がよぎります人の行く裏に道あり花の山何度も書きますが、この言葉がものすごく深く感じます。