私の役目は、アンカー(船の錨)なのだろう
毎月出している教室通信から引用----------------------------------- 小学校高学年から高校生くらいというのは、心身ともに大きく成長していきます。行動半径も広くなり、自分の周りの世界も広がっていきます。対象はスポーツにだったり、人間関係だったり、趣味だったり、実に様々です。 しかし彼らの根底にあるのは、学校の勉強です。しなければ!、がんばらなければ!、という気持ちを常に持ちながらも、広がっていく世界に流されていくことも多々あります。 エネルギーが充満している年齢ですから、それはとっても自然な流れですね。 思春期の彼らと向き合う大人の鉄則は、「適度な距離感」です。近付きすぎず、かといって放任でもない適度な距離感。このさじ加減がとっても難しいのですが、ここに醍醐味があります。 私の場合は塾という場で向き合っていますので、彼らにとって私のつながりは、勉強をしなければ!がんばらなければ!という先にあるものです。たとえていえば、船の錨のようなもの。その錨も、ガッチリ押さえているというよりは、緩く流しているという感じ。錨のひもの長さも人それぞれです。でもどこかで押さえられているという感触だけは常にある。 実は、この「感触」こそが大事で、特に男の子にその効果がより高いということが、経験的にわかってきました。改めていろいろ勉強してみると、彼らには「ナナメの関係」が大事なのだそうです。 親子の関係は「タテの関係」です。叔父や叔母、祖父母、学校の先生、近所の人(私の場合はこれ)などの親(保護者)以外の大人との関係が、「ナナメの関係」に当たります。あまり直接の利害がない関係ですね。 例えは古いですが、映画「男はつらいよ」の寅次郎と満男の関係、もしくは「サザエさん」のマスオとカツオとの関係と言うとおわかりでしょうか?大事なことは、親とは違う価値観を提示すること。寅と満男はまさに好例で、勤勉実直の父博と、自由人の寅とはまさに正反対。 こういう様々な価値観を知ることで、社会にはいろいろな面があることを知り、時には、迷い悩み反抗しながらも、自分の道を作っていくのです。それには、多くの見本がなければなりません。社会の多様さを示してあげることは、特に将来家族を持って自立していく男の子にとっては、成長において不可欠なことだと思います。 男の子は時間をかけてじっくり育てようというのは、こういう意味もあります。 私との直接のつながりは勉強ですが、将来ふと、中学や高校の時に教わっていた先生は、勉強以外にもいろいろ教えてくれたなあ・・・などと思いだしてくれれば、向き合ってきた私としては望外の喜びでもあります。