子供の教育に、大人の論理が入り込みすぎている気がする
子供には、子供なりの世界や時間がある。大人から見ていて理解できないところもあるが、それが事実である。だから本来は、その世界を尊重するところから教育が始まるのだが、現実は逆である。大人の論理が入り込み過ぎていると感じることが多々ある。寛容さがないのだ、そこには。テレビや雑誌やネットなど、子育てに関する情報は、それこそイヤになるほどあふれている。情報洪水の時代には、端的にわかりやすく言い切る形が目立ちやすい。というか、そうしないとあっという間に埋没する。しかし実際には、グレーゾーンの中にこそ正解がある。子供たち一人一人の性格や置かれている状況は、個々に違うから当然だ。褒めて育てた方が良いとは言うが、子供の性格によっては、厳しく育てた方が良い場合だって当然ある。また、場面ごと、成長段階ごと、日ごとにだって異なる。成長の激しい子供だから当然だ。これ!という正解はないのだ。でも、曖昧さでは伝わらないので、勢いネットやマスコミなどでは、枝葉末節を切り捨て、端的に言い切る形が横行する。本当は、枝葉末節にこそ本質があったりするのだが。端的になればなるほど、効率や効果を求めるようになり、結果として子供の世界を否定する。寛容さがなくなる・・・一見正論(もどき)を振りかざし、さんざん扇動しておいて、うまくいかなければ自己責任で切って捨てる。そんな大人が増えてしまった気がする。子供たちに、自己責任を押しつけるのは、少なくとも教育者の言うことではない。未熟な存在ゆえ、守ってあげるのが大人の役目だ。若者が内向きになったとか、消費しなくなったとか言う。もちろん豊かな社会と言うこともあるが、こういう物言いに対する抵抗でもあるような気がしてならない。子供たち、若者も含めて、彼らには、適度な距離で見守ることと、寛容さが大事。もう少し大目に見てあげたいなと思う。