さすがに、憤りを覚えます
あまり時事的な話題には触れないが、大阪の公募校長が、わずか3ヶ月で職場を放り出した件。さすがに、教育の末席にいる人間としても、憤りを覚えます。辞める理由なんかどうでもいいんです。でも、生徒に対してこの捨て台詞「申し訳ないという気持ちではなく、残念な気持ち」申し訳ないが、あんた何様?どんな理由であれ、生徒に謝るのがまず第一。もうこの時点で、教育者失格だと思う。サッサといなくなってもらって正解だと思う教育現場で一番大事な生徒たちが、いったい教師の何を見ているか?経歴とか能力なんかではない。そんな大人の評価など、子どもにはわからない。要は、この人は本気で向き合ってくれるかどうか? である。もうこれは、子どもの本能と言って良い。自分に関心を持って、向き合ってくれるかどうか?なのである。教える技術は、その次。もちろん、プロとして能力があるのは当然だが。やりたいことが出来ない環境だから辞める!では、子どもの理屈である。子どもが子どもと向き合ったら、うまく行くわけがない。そういう意味で、とっとと消えて、あんた正解(笑)。教育なんて、泥臭い面も一杯ある。目先の自分の姿、評価を気にしていたら出来ないことは一杯ある。私は零細の個人塾経営者だ。生徒の反応は、即生活に直結する。しかしそれでも、厳しく言わなければならないことは多々ある。その覚悟があるからこそ、生徒は来てくれて、親は信頼してくださる。理想なんてのは、その次の問題だ。その信頼に、どれだけ応えられるか? 毎日が戦いである。安易に、おまえはダメだなんて、口が裂けても言えない。必ず突破口はある、そこを信じて取り組むだけである。結論なんか、安易に出せるわけがないこの人、外資系の証券会社に勤めていたらしいが、そこでは見切りの早さは評価されたかもしれないが、教育現場は、おいそれと逃げられないのだ。自分の能力経験を生かすために、まずやらなければらないことはたくさんある。それを事前にお膳立てしてくれると思っていたとしたら、この人、ずいぶん生ぬるい人生を歩んできたんだねと。杉並のあの人を筆頭に、一時期話題になっていた民間人校長。最近下火である。その人の能力云々よりも、教育をビジネスの語法で語ることが、確実に無理であることを表していると思う。もういい加減、気がついた方が良いと思うよ。