プロ野球日本シリーズは、日本の歳時記だった
プロ野球日本シリーズは、今夜が第三戦。シリーズの流れを決める一戦になりそう。ところで、日本シリーズが全試合ナイターになって久しい。私が学生の頃は、平日でもデーゲームだった。試合開始の1時頃は、まだまだ日も高く、秋晴れだと実に気持ちの良い野球日和。だが、秋の日はつるべ落とし。試合が終盤になる4時頃には、グランドに長い影が差す。さらに平日開催だと、誰かがこっそり学校に持ち込んだラジオで、逐一試合状況を報告。ごくまれに、理解のある先生だと、教室のテレビで見せてくれたこともある。外回りの営業マンだと、日本シリーズ中継してます、と貼り紙のある喫茶店にしけ込んだ人も多かったのではないかと。まだまだプロ野球が国民的関心事の時代。もう時効の話。あの秋の夕暮れのシーンと日本シリーズがなぜダブるのかというと、春から見続けていたプロ野球シーズンも、いよいよ終わるのだなと言う、季節感とセットされていたからだと思うのだ。秋の夕暮れは、いよいよ今シーズンもクライマックスであり、冬も近いのだと言うことを、否応なく感じさせてくれた舞台装置なんだと、今更ながら思う。ナイターにすると、そういう季節感をすっ飛ばし、ドームは別だが、場合によっては寒いという印象しか残らなくなる。テレビ中継の関係で、夜になったわけだが、それとともに、地上波での放送もみるみる減った。通年通して当たり前のように見る層がドンドン減っていった。視聴率も、以前とは比較にならない。それでもまあ、優良コンテンツだと思うが。季節感と切り離された日本シリーズからは、この時期特有の話題というか雰囲気を全く感じなくなってしまった。それとともに、プロ野球が国民的関心事から自ら降りてしまった。甲子園が夏の平日の昼間にやっていても、それなりに盛り上がっているのは、季節感を代弁しているから、そんな気がする。歳時記を無視すると関心は薄れる、そんな国民なのかと大げさながら感じる。