そったくどうじ
啐啄同時。漢字で書くとこうなります。鳥の雛が卵から孵化するときに、内側からつついて割ろうとする。その様子を見た親鳥が、外側からつついて割るのを手伝う。ここから、「啐啄」は、何かをするのに絶妙なタイミングを指す表現とされています。 子どもの教育って、まさにこれで、やはり教える内容や技術はもちろんですが、このタイミングが一番大事なのです。要は、その気にならないと効果が出ないと言うこと。 ところが今の教育システムは、実際のプレイヤーよりも外野(それも実際には現場に一切携わらない観客レベル)が遙かに多いため、彼らの声に必要以上に振り回されているきらいがあると思います。教育は誰でも受けた経験があり、それぞれの思いがあるからなんでしょう。 あれもやれ、これもやれといろいろ詰め込みすぎている。授業で扱えば、先生が教えれば、それでなんとかなると思っている。しかし実際は、そこからが本当のスタートなんですが、なかなか外野には伝わりにくい。 スタートの理由は、まさに「啐啄」が来ないからなのです。当の本人も頭ではわかっているのです。しかし体がついて行かない。 やはり、そのタイミングを待つしかないんだと思います。何回も申し上げているように、適度な距離を持って見守るのが、教育の基本だと思うのです。 待っているのは、不安なんですよね。間に合わないのではないか?(何に?)とか、ずっとわかってくれないのではないか?とか。 確かに、勉強は「やらされているもの」、と思う子が多いでしょう。しかし、子どもたちにしっかり勉強させることは、彼らの未来を守ることでもあります。 必要なことは言い続ける。伝え続ける。でも、タイミングは待つのみ。 私もずいぶん試行錯誤しましたが、結局これが一番確実な方法だとようやく学びました。 信じて見守れば、必ず変わる。 大人に余裕がなくなれば、子どもたちはもっと余裕がなくなる。少なくとも評論家的な見方はやめて、彼らを信じて手を打ちつつ見守る。それを基本にしたいと思いますね。