寛容さを忘れていないだろうか?
前回 前々回の続きですいろいろ書いてきましたが、基本的には、やった行為は叱責の対象ですが、当事者は対象にはなりません。罪を憎んで人を憎まず です。ましてや相手は子供です。彼らは悪意などありません。ただ単に、目先のやばい事に対して、どうやって回避しようか? それだけを考えています。幼いと言えばそうですし、動物的と言えばそうです。自分にも心当たりありますし(^_^;)子供に限らず、お年寄りもそうですが、いわゆる社会的な弱者に対して、寛容さがなくなってきています。子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの(以下略)子供もお年寄りも、いつか来た道、いつか行く道です。安易に批判などできません。また、教育虐待「教育熱心過ぎる親が、過度な期待を子どもに背負わせてしまい、思うとおりの結果が出ないと厳しく叱責してしまうこと」 Wikipediaよりなんていう悲しい言葉もあります。子供は最初からできるわけではありません。教えられてできるのです。しかし、ここが肝心なのですが教える 即 できるようになる、訳ではありません。そこには個人の性格、環境、そして時間が必ず影響します。すぐできる子もいれば、数年経ってようやくできる子もいます。また、思わぬ方向に伸びていく子もいます。もちろん一時的に停滞する子もいます。そういう不確実な部分も含めて教育なのですが、最近は、教える 即 狙った方向に伸びていくばかりが強調され、即できない子にとって、居心地が悪くなります。また、教えれば伸びるという単純な考え方から、学校に新たに導入されたことの多いこと多いこと。こなすだけで精一杯で、ますます飲み込みの悪い子にとってはつらくなりかねません。幼いことが罪である風潮もどこかにあります。最近の子供は、小さい子でも 「眠い」「ダラダラしてた~い」と言います。私が小学生の時には考えられなかったのですが、多分これ、何かのサインです、きっと。彼らにヒマな時間を与えてみてください。最初はダラダラかもしれませんが、そのうち何かしら動き出します。元々子供のエネルギーは莫大なものです。しかしそれを今はなんだかんだで、大人がコントロールしがちです。もっと寛容な心で子供を見てあげた方が良いと思うのです。その方が大人もずっと気持ちが楽です。大田区松栄塾03-3727-8268syoueizyuku@asahinet.jpTwitterアカウント @syoueizyukuブログの更新は、毎週月、水、金の 午後8時頃の予定です