古典シリーズ「菜根譚より~後集第62段~」編
すご~く久々に古典シリーズを書きます。本当にめちゃくちゃ久しぶりです。高校のときの担任の先生もこのブログを読んでくださって、このシリーズなんかは先生に好評でありました。しかしながら高校卒業後、古典に触れ合う機会が一瞬にしてなくなり、このシリーズを書くことが無くなったのですが、皆さんもまだ記憶に残っていることでしょう。先日、六星占術をあやつっている細木数子さんが、テレビ番組を降板されました。最後のフジテレビの「幸せって何だっけ」にて、最後の言葉で、こうおっしゃっていました。漢文でありまして、漢字だけだと分かりにくいと思うので、書き下し文であらわしたいと思います。「水流、急に任せて、境(きょう)常に静かに、花落つること頻り(しきり)なりと雖(いえ)ども、意自(おの)ずから、閑なり」コレを訳しますと、「水の流れは激しいが、その激しい水の流れにまかせきっていれば、その境地はいつも静かであり、また、花がしきりに落ちて万物は変化してやまないけれども、その自然の様子を見ている心は、おのずとゆったりしている」ということで、この細木さんの言葉が気になってパソコンで調べてみました。すると、この言葉は「菜根譚」という、中国明代末期の人で、洪自誠(洪応明)という人による随筆の一文でありました。この「菜根譚」は、前集、後集の2つに分けられていて、前集では「人の交わり」、後集では「自然と閑居の楽しみ」をそれぞれ説いております。早速本屋さんに行って、全部(原文・書き下し文・語義・訳)が書いてある本を探し出し購入しました。早速パラパラと簡単に見てみると、現代でも通用するような人生の指南書とも言うべきことがたくさん書いてありました。これには僕は非常にびっくりしました。先ほどの細木さんが言った言葉は、その菜根譚の中の、後集の第62段の中の北宋代の邵雍(しょうよう)という人の言葉の部分です。深く考えると、今回の言葉は細木さんがしきりに言っていた「原点に返る」こういうことを言っているのだと僕は思います。いくらあんなにズバズバおっしゃっていた細木さんでさえ、勉強することだってあるし、言い過ぎたという部分もあるし、ほかにもいろいろ事情があると思います。しかしながら、細木さんのような世間に対して、あれほどズバリと言えるような人が今後この世に現れるかといったら、どうもそうではないような気がします。母もファンなので、また機会があれば、テレビで復活して欲しいなという思いもあったりします。久々に漢文に興味関心を持ちまして、この本、鉄活動しているときにもしきりに読んでいるかもしれませんよ。今回からの古典シリーズ、古文もまた出来たら紹介しますが、今回自分が非常に興味関心を持った、この「菜根譚」から、自分が印象に残った言葉を紹介していきたいなと思っています。よろしければ皆さんもお付き合いいただければと思います。