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カテゴリ:梅・桜・花のフォト
春ごとの花に心をなぐさめて 六十(むそぢ)あまりの年を経にける(西行法師)
「梅は月ヶ瀬、桜は吉野」が信条のリュウちゃん、 今年も17日に吉野を歩いてきました。
昨年は2回に渡って吉野に行ったのですが、今年は昨年の2回分を一回で歩いて見ようという野心的な(笑)計画を立てました。具体的には、
近鉄吉野駅~蔵王堂~竹林院~水分神社
という行程です。因みに、近鉄吉野駅は「下千本」が始まるところ、蔵王堂は中千本の入り口、竹林院は上千本の入り口、水分神社は、上千本が終わり、奥千本が始まるところ、それぞれ、吉野の下・中・上の分岐点に当たる場所にある代表的な神社仏閣なのです。
午前8時20分法隆寺出発、近鉄筒井~橿原神宮前駅を経由し、吉野に着いたのが10時30分、橿原神宮前駅からの近鉄吉野線は平日だというのに、ほぼ満員、ここから吉野まで、約1時間立ちっぱなしです。
吉野駅を降りて、駅のトイレに行きましたが、行列が出来ている、男性用はたいしたことはありませんが、女性用は20m位の行列、野外を散策する時は、トイレ対策だけはしっかり立てておきたいですね。
10時40分、目的地の水分け神社に向けて、出発、吉野駅から、蔵王堂の近くまでロープウェイがあるのですが、全行程をウォーキングで行くと決めていたリュウちゃん、当然、ロープウェイは使いません。 それにしても、このロープウェイ、中途半端だな、 どうせロープウェイを作るのなら、水分神社まで一気に上れるようなものを作って欲しいものだ。
吉野駅から歩いて20分くらいで、吉野のシンボルとも云える「蔵王堂」に着きました。下の写真は蔵王堂の正面ですが、この境内には、桜の木は3本くらいしかありません。
以下の写真は、蔵王堂の左下のある「吉野南朝皇居跡」です。ここも吉野屈指の「桜の見所」です。
蔵王堂を跡にして、30分程坂を登った所に、本日の一番の目的の場所、「竹林院」があります。この寺はの開祖は聖徳太子と云われています。「竹林院」の庭園「群芳園」は、豊臣秀吉が吉野の花見に際し、千利休が作庭したとされる池泉回遊式の借景庭園です。
今日の吉野散策の一番の目的は、「群芳園」の白い「しだれ桜」、 今、満開なのかな?
下の写真が、その「しだれ桜」です。 残念ながら、相当散ってしまっていました。やはり「しだれ桜」は周囲の桜よりも10日くらい花のサイクルが早いようです。来年は、中千本が「咲き始め」の頃に「「群芳園」を訪れて見たいと思いました。
「竹林院」から少し坂を登ったところで昼食休憩、例によりまして、女房お手製の「おにぎり弁当」と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール2本、
快晴の空 、桜の花びらがおにぎりに舞い落ちる、冷えたビールが心地良い。
昼食を終えて、また段々と急になる坂を登り、やっと本日の最終目的地である水分神社に着いたのが午後2時少し前、近鉄吉野駅から途中、昼食を挟んで、ここまで3時間程掛かりました。
下の写真はお目当ての水分神社のしだれ桜です。木が大きくて、しだれの位置が高いので、こんな写真になってしまいましたが、ここの「しだれ桜」は満開でした。
願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃(西行法師)
水分神社から更に2キロくらい坂を登った「奥千本」の一番奥に、源平時代の戦乱の世に生きた僧侶で歌人の西行法師の編んだ「西行庵」があります。
西行は、「平清盛」より一歳年上(1117年生まれ)、17歳で、京都御所の北側を護衛する「北面の武士」に選ばれるも、23歳で出家、以後、全国各地をさすらう「漂泊の歌人」として生涯を送りました。59歳の時、リュウちゃんの故郷・伊勢二見が浦にも居住していました。
吉野の「西行庵」に住んだのは出家直後の若い頃だったようですが、吉野でも人里離れた山の奥に独り小さな庵を編んでの生活はどんなものだったのでしょうか? リュウちゃんも冒頭の西行の和歌のように60歳の半ばを過ぎて、西行の和歌が身に沁みる年齢になりました。来年には、奥千本の奥にある「西行庵」まで足を運んでみたいと思います。
午後2時に水分神社を出発、往路は約3時間を要した道則も、復路は寄り道なしの下り坂、約1時間で近鉄吉野駅に辿り着きました。
17日の「吉野行き」で、リュウちゃんの今年の桜紀行」も終りました。 今年はまだいっぱい「桜紀行」をしましたので、 もう1回位、ブログをUPしたいと思っています。
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