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テーマ:日本の歴史(53)
カテゴリ:歴史・奈良遷都
法隆寺五重塔を洗う噴水
(今回アップした写真は、7月26日の法隆寺西院伽藍のドレンジャー放水の時に撮影したものです)
50歳の時に法隆寺の門前に引越して早や16年、法隆寺が第2の故郷となったリュウちゃん、7月初めから地元のシルバー人材センターに登録し、「法隆寺有料観光ガイド」コースを学ぶことになりました。
現在は先輩に付いて膨大なテキストの座学、7月から法隆寺での現地ガイド実習を始めました。しかし、これが難しいの何の!実際にガイドを始める前に、早や悲鳴を挙げています(情けなや!)
法隆寺に関する知識を得るため、7月26日~29日に開催された「法隆寺夏季大学」というサマーセミナーにも、今回初めて参加しました。4日間に渡り、九つの講座を受講しましたが、かなり専門的過ぎて、残念ながらよく理解出来ませんでした。
リュウちゃんが全国に数ある古刹の中で、特に法隆寺に興味を持ったのは、梅原猛氏の「隠された十字架・法隆寺論」(1072年)を読んでからです。この著作では、通常の仏教者が著す門外漢にとっては退屈極まりない法隆寺論とは一閃を画すファンタジーに満ちた独創的な法隆寺論が展開されています。
上記、「法隆寺ガイド」は、法隆寺の側から見た「内輪の法隆寺論」を基礎としてテクストが構成されていますが、無宗教者で、永遠の門外漢であるリュウちゃんの法隆寺にまつわる興味は以下のようなものです。
(1) 文字伝来・仏教伝来の謎 (2) 現在の法隆寺は何時建立されたのか? (3) 五重塔の心礎に納められていると云われる「仏舎利」の正体は何か? (4) 聖徳太子という人物は実在したのか? (5) 法隆寺の象徴の一つである「百済観音」は、何時、何処で造られたのか?
以下、上記に挙げましたリュウちゃんの興味ある「法隆寺の謎」について、メモ程度ではありますが、簡単に書いてみます。
(1)文字伝来・仏教伝来の謎 日本最初の「正史」である「日本書紀」(720年)によれば、日本に文字が伝わったのは応神天皇16年(西暦285年)、百済から渡来した王仁(わに)によって、「千字本」、「論語」が伝えられたのが最初と云われています。 また仏教伝来は「日本書紀」によれば、欽明天皇13年(552年)、百済の聖明王が使者を遣わし、仏像や経典とともに仏教流通の功徳を賞賛した上表文を献上したのが始まりと云われています(仏教公伝) 西暦552年といえば、仏教を厚く信仰し、仏教興隆の祖といえる聖徳太子(574~622年)の生まれる僅か22年前の出来事です。仏教公伝から僅か50年で、国教とも云えるようになった仏教の日本での普及、何やら驚異の思いが致します。
(2)現在の法隆寺は何時建立されたのか? 通説によれば、法隆寺の創建は、推古天皇9年(601年)とされています。しかしこの寺(斑鳩寺)は、「日本書紀」の記述によれば、天智天皇9年(670年)に焼失し、現在の法隆寺は、創建当時の法隆寺(斑鳩寺)の焼失後、間もなく再建されたものであるという説が有力のようです。この説が正しいとすれば、現在の法隆寺は、聖徳太子の死後、少なくとも50年以上を経て再建されたと云うことになります。 梅原猛氏の「隠された十字架」の主要な主張「再建された法隆寺は王権によって子孫を抹殺された聖徳太子の怨霊を封じる為の寺である」という説は、リュウちゃんには非常に説得力のある説なのです。
(3)五重塔の心礎に納められていると云われる「仏舎利」の正体は何か? 法隆寺の五重の塔は高さ約32m、塔の中心には、「心柱(しんちゅう)という樹齢2000年を超える檜材の太い柱が土台から塔の先端まで突き出しています。 仏教の「塔」とは、サンスクリット語で「ストゥーパ」と呼ばれ、漢字では「卒塔婆(そとば・そとうば)」、略して「塔婆(とうば)」とも書きます。 五重塔のような仏塔は、釈迦の遺骨である「仏舎利」を納める「塚」です。法隆寺五重塔の地下3mのところにガラス製の「舎利壷」があり、その外側は金製・銀聖・銅製の3重の「舎利容器」で包まれています。 しかし、本当に釈迦の遺骨が納められているのでしょうか?
釈迦の入滅(紀元前383年頃)から法隆寺建立まで、約1000年の時が流れています。「仏舎利」は、相当広い範囲に分割されたようですが、1000年後に建てられた日本の寺院にまで分骨されたとは到底考えられません。
舎利壷に何が収められているのか? リュウちゃんの疑問は膨らむばかりなのです。 (以下、「法隆寺学事始め(2)に続きます)
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