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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:プロ市民関連(右翼も含)
少し遅れたけれど、卒業&入学シーズンが終わった。
そして、このシーズンになると決まって出てくるのが「国旗国歌論争」 毎年飽きずによくやってくれると色々な意味で感心している。 私は昔はサヨクっ子だったが、国旗国歌に対しては拒否反応というのはあまりなかった。 「日の丸君が代反対」という教育を受けていなかったからね。私の小学校には一番高いポールに常時日の丸が掲揚されていた・・・記憶がある。 もしかしたら、何かの勘違いかもしれないが、屋上に三本のポールがあり、真中の一番高いポールに日の丸があり、あとは校旗などが一緒に掲揚されていた。(気がする) 運動会でも万国旗を作ったし、小学校の卒業式にはキチンと君が代を歌った。そこに拒否感なんてなかった。ちなみに、小学校時代には中国人の女の子もいたが、その子も君が代を普通に歌っていて特に問題は起こらなかった。 やはり教育や環境は偉大だ。 教師が指導してくれれば。生徒はそれに従うまでだ。 ところが、昨今の教師は何を狂ったのか、教師としての立場よりもイデオロギーを優先させている。 教師の言う「思想信条の自由」とやらはどこまで拡大できるんだろう。 宗教関連では時と場合により、運動や食事についてはある程度拒否することが出来るらしいが(例えばエホバ関連とか)では、基準が曖昧な「内心の自由」「思想信条の自由」についてはどうなのか。 ■国語の授業 「先生。思想信条の自由に反するので自分はこの詩や小説を朗読したくありません」 ■数学の授業 「先生。思想信条の自由に反するのでこの公式はやりたくありません」 ■音楽の授業 「先生。思想信条の自由に反するのでこの曲は弾きたくありません」 ■掃除の時間 「先生。思想信条の自由に反するので自分は掃除したくありません」 ■昼休み 「先生。思想信条の自由に反するので、自分は午前中だけで早引けします」 思想信条の自由とやらを拡大すれば上記のようなことも認めなければならないと思うのだが、教師は認めるんだろうか。そんなことをすれば学校教育の崩壊だ。 数学と思想はどう結びつくのかという反論がありそうだが、世の中は広い。わけのわからない汚いおっさんをネ申と同等のように扱う宗教もあれば、そこら辺に転がっている石や砂を大事にする人間もいる。 「数学のような科学的なものをやるのは家訓に反する」と前近代的な暮らしをしている一家だっているかもしれないじゃないか。 だから、数学をやるのは思想信条に反するという生徒が出てきてもおかしくはない。 そういう生徒が出てきたら、教師はそれを認めるのか。 国旗国歌問題で教師にマイクを向けるレポーターは上記のような質問を投げかけてくれない。 それとも、日の丸や君が代の思想や信条は認めてもその他のこれを認めないとでも言うのだろうか。そんなの差別じゃないか。訴えてやる! 個人的な感想を言えば日の丸君が代は好きだ。 日本に相応しいと思う。 日の丸や君が代を戦争と結びつけて考える人もいるのだが、日の丸や君が代が鉄砲担いで戦争おっぱじめたわけじゃない。 戦争責任は国と国とが清算すべき事項であり、日の丸君が代には何の責任もない。 戦争というのは全てを利用する。 日の丸も君が代も。それが日本の国旗であり国歌だから使われたまでだ。一回戦争に敗れたぐらいで変える必要はない。 戦争に利用されたのは、何も国旗や国歌だけではない。 映画も、音楽も、活字も、全て利用された。 戦争に利用されたものを廃棄するなら、これら全ての利用をやめ、仙人のような暮らしをしなくてはいけない。個人が勝手にやるのは構わないが私は御免だ。 日の丸を担ぎ君が代を口ずさみながら戦地を渡ったのがいけない。より直接的に所謂「侵略戦争」とやらにそれを利用したのがいけないのだと言うかもしれない。 なら私は言いたい。 日本語をしゃべるな! 所謂侵略戦争を立案、実行する時に指導者が発したのは「日本語」だ。 日本語を巧みに利用し、多くの人を欺き、扇動し、誘導し、人々を駆り立てたのは日の丸か、君が代か? 違う。 「日本語」だ。 日の丸や君が代を利用するときにもまた日本語を並べたはずだ。 また、サヨクは言う。 日本は韓国から言葉を奪い、日本語を押し付けたと。(反論はあるが)仮にそれが事実だとしよう。 ならば、日の丸や君が代以上に、「日本語」は戦争に利用され、多くの人々に苦痛を与えたのはでないのか。 戦争を通し、アジア人に苦痛を与え、戦争に利用されたから、日の丸や君が代を拒否するのならば、日の丸君が代以上に戦争や日韓併合に関わっている「日本語」もまた拒否しなければ道理にあわない。 それとも何か? 日本語はいいが、日の丸や君が代はいけないのか。 そんなの差別じゃないか。訴えてやる! この件についてまたトンチンカンな弁護士集団がこんなことをやった。 ■「君が代」歌わぬ自由、生徒に説明を 弁護士会が勧告 http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20050311/K2005031100281.html どうでもいいのだが、弁護士諸君。 裁判官への起立、礼の直前に事前説明なんてあるのか?と。 また、イチャモンで申し訳なんだけど、 裁判所では開廷後と閉廷前に起立礼があるが、そこで「起立しなくてもいいですよ」という事前説明があるとは聞いたことがない。それとも私が知らないだけか。 実際に起立、礼をしない法廷もあるらしいが、そういう慣習が残っている裁判所では当然傍聴人、被告人、検察、弁護士などがそろって起立礼するのが通例だと思われる。 仮に事前説明を受けたとしても、だ。あの厳かな雰囲気の中、起立礼を拒否できる人間など早々いないと思われる。(もちろん、ケガをしているなどという特別な理由があればその限りではない) また、被告、原告にいたっては、そこで拒否すれば裁判官の心証を悪くすることは必然で得策ではないために、起立礼をするものと思われる。 裁判官に好印象を持たせれば自分達に有利に法廷を進めることが出来る。それを考えれば開廷しょっぱなから、悪印象を持たせるような行動は慎まなければならない。 それを考えると、検察や弁護士が起立を拒否することは不可能に近いのだ。 これはつまりどういうことか。 要するに、例え裁判所で「裁判官に起立しない自由」とやらを事前説明していても、これは、 「事実上の強制」なのである! 起立しない教師を処罰することは生徒への事実上の強制につながるといって問題視する人がいる。ならば当然裁判所の起立礼も問題にしなくてはおかしいのだ。 弁護士会は、学校側に難癖つけるまえに、裁判所をどうにかしたらどうなのか。 実際に反対している弁護士はいるらしいが、学校の問題に比べてどうにも活動が小さい。 きっと、弁護士といえども、裁判所を敵に回すのを恐れているのだろう。 役に立たない奴らだ。 まぁ、思い切り難癖つけまくっているのは私だが、つけようと思えば何にでもどこにでもイチャモンをつけられるということだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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