荒れ野の魔女=おばあちゃん?
ハウルの動く城を見た。今更ながら、色の美しさと動きの細やかさには目を奪われる。さすが!!でも・・・。どうしても気になることが・・・。一気に実年齢に戻って高齢になってしまった荒れ野の魔女のことをソフィーが「おばあちゃん」と読んでいたことが引っかかる。ハウルは年をとった魔女のことを「マダム」と呼んだのに。そりゃぁ年をとれば、おばあちゃんになる。でもいくら年をとっても、名前で呼ばれたい、とか、あたしゃあんたのおばあちゃんじゃないよ、みたいに思う人はいると思う。一度や二度なら、百歩譲って・・・、と思うところだが、気になり始めたら「気になる」を通り越して耳障りになった。意地の悪い、気位の高い魔女だったからこそ、年をとっても、ソフィーにだけは「マダム」とか「魔女サン」と呼んでほしかった。もっともソフィー自身が魔法で年をとった後にハウルに再会して自分のことを「おばあちゃん」と言っていたような気もする。そしてもうひとつ。ソフィーが自分のことを、掃除婦、とか掃除くらいしかできない年寄り、みたいな事を言っていたと思う。あれも気になった。年寄りだから掃除くらいしかできない、ということなのか、そうでないとしたら、掃除を生業としている人を斜め目線で見ていないだろうか、と思ってしまった。うがった見方なのかもしれないけれど。今作にも、時代を反映したいろんなメッセージや願いが込められていると聴いた。だからこそ、重箱の隅をつつくような感想かもしれないが、残念に思う部分が目立ってしまうのだ。今回はスクリーンの小さい劇場で見た。もう一度、大きいスクリーンで見てみたい。