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2005年01月24日
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カテゴリ:戦国 北条氏
戦国北条家の特筆すべきことといえば、伝馬制の復活と全国的に早い段階で行われた検地、また、それにもとづいた支城網の確立でしょうか。以前にあった、伝馬制を復活→街道・宿場町の整備による、平時の兵糧・物資の移動および、戦時の兵力の移動を円滑にする上で重要なことであったと考えます。検地を行ったことの効用としては、正確に土地の測量を行うことで、実際の国力の把握に役立つほか、北条家としては、土地の代表者に、納得の行くような兵糧納税の説明をしていたようです。北条家では、戦闘や、東海地震による神社など公共施設の荒廃などに見舞われたため、特に2代目北条氏綱を中心に再建工事による使役があり、減税政策を行ったりしていたようです。また、地域支配の基幹となる支城網を構築する上で、支城主の下部組織である同心などに
領地を分配するさい、北条氏の直轄地や、身内をうまくはさんで監視できるようにしていたようです。また、当然、地域の基幹になる支城(江戸城・河越城・津久井城・玉縄城・松山城・韮山城など)には、自分の血筋や、親戚筋をいれ地域支配の確立・離反防止を徹底していたようです。こうした、支配体制を、2代目の氏綱の時代から初め、3代目氏康の時代に確立していったようです。
今日の一冊
歴史群像シリーズ14
真説「戦国北条5代」早雲と一族、百年の興亡
学研1989年10月1日発行
有名な学研の歴史群像シリーズの北条版です。
このシリーズの特徴として、図や写真を多くとりいれ、初心者からででもわかりやすく解説してあり、特に軍事・戦略について、多くの専門家の投稿で、簡潔に解説されています。





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最終更新日  2005年01月25日 02時46分29秒
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