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カテゴリ:戦国 北条氏
↓支城制について、実際構築がまとまった時期永禄2年(1559年)に「小田原衆所領役帳」が作成され、(普請役の家臣への賦課状況をみるため、三代目氏康が作成を家臣に依頼)当時の北条家の組織が垣間見えます。以下略図を
北条氏康 1 1(氏康直属) 1-御馬廻衆(おうままわりしゅうとよみ評定なども) 1-御家中衆(公方足利義氏および幻庵の一門衆) 1-諸足軽衆(ゲリラ戦などをする特殊部隊・乱波など 1ー小田原衆(本城の家臣団) 1(支城領) 1-玉縄衆(玉縄城主 北条綱成 指揮下) 1-江戸衆(江戸城代 遠山綱景 指揮下) 1-河越衆(河越城代 大道寺周勝 指揮下) 1-松山衆(松山城代 狩野介 指揮下) 1-津久井衆(津久井城主 内藤康之 指揮下) と、かんな感じでまとまり、さらに御家中衆のなかに 本光院衆(三浦衆)・幻庵の嫡子 三郎配下 小机衆があ り、支城領と同格の軍団があった。 また、足利義氏・北条幻庵も独自の直属の家臣団があった。 このほか、河越合戦後、与力するようになった他国衆という 構成であった。支城指揮にあたる城主・城代はいずれも 北条家一門という構成です。 ただ、この後問題になるのは他国衆の管理となるわけですが 実際には、配下としての組織ではなく、むしろ公方である 足利氏の家臣団であったので、氏康に与力する独立集団とい った性質で、上杉氏来襲時などは、上杉方についたりして、 氏康も苦労したようです。 ☆今日の一冊 北条氏康と東国の戦国世界 小田原ライブラリー13 著者 山口 博 制作発行 夢工房 小田原市の自然文化を広めていこうとつくられたシリーズの ひとつで、136pとコンパクトながら、非常に要領よく 氏康支配下当時の北条軍団・関東の戦国の流れから、経済 の流れをよくまとめてあり、最初に読むには非常によいよう に思います。 ☆本日のリンク さくまにあ 人気テレビテーブルゲームの製作者のさくまあきらさんのHP ゲームは、日本中をさいころであっちへこっちへ移動、駅で 地元物件を買うというものですが、この取材という名目の もと、毎日のように日本全国行脚の旅をし、全国のうまいも の探しをしていますね^^;まさに、現代の伊能忠敬のようなかたです。旅行にいくときはかならず参考にしている サイトです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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