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カテゴリ:戦国伊達家
伊達家の続きです。
代が変わって15代晴宗公が、新府・米沢城に入ると、奥州探題になり、名実ともに東北を代表とする大名となる。軍事行動は積極的には行わなかったものの、婚姻戦略はぬかりなく、晴宗公は、岩城氏久保姫(岩城重隆の娘)との間に6男5女をあげ、男はそれぞれ岩城・留守・国分・石川の伊達家内の国人の子として送られ伊達家臣団の骨格を作るとともに、女は、二階堂・芦名・佐竹氏らの夫人となる。 そして、この女性たちが先述した、芦名盛興・盛隆氏の夫人・佐竹義重氏の夫人となり、後に、独眼流伊達政宗公と対峙血筋であるにもかかわらず、攻撃の対象となり、特に二階堂氏に嫁いだ伯母もその悲劇に巻き込まれ、二階堂氏が滅びるときも救援をうけず、節をとおした。 16代輝宗公は晴宗公からの引継ぎの際永禄年間に父と争い内紛の原因となった中野・牧野氏を粛清・対外的には北に進んで、相馬氏と戦い、会津侵攻も画策。 また、山形城主最上義守の娘義姫と結婚(姫の祖母は14代たね宗の妹)二男二女をもうけた。その嫡男が独眼流伊達政宗となり、次男はのちに兄にうたれる小次郎であり、女子は二人とも早世している。 こうして、東北の争乱の中心人物である伊達政宗が登場となる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年06月24日 06時04分44秒
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