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カテゴリ:日本創生
少し間があきましたが、続きです。
滝を見たあと、滝を見るための展望所の道路を通して正反対の方向に小高い山がありまして、その上にこれまた由緒正しき神社があります。 あるいてもいけるんですが、車で迂回して上ります。 上り坂は車一台通るのがやっとのところで、いやだなーーーーとおもうところで、やっぱり対向車がきたりするわけで^^; のぼりきるとわりとひろ~い駐車場に車をとめ、こじんまりとした神社の境内へとあるいていく。(すぐとなりですけどね^^;) 入り口の鳥居の入ってすぐ左に飼育小屋がありまして、覗き込むと白いのししが一頭せわしなく歩き回ってます。札には、「しろいのししのあいちゃん」の名称が・・・どうも、公募により決まったようですが、どこもかしこもあいちゃんブームですねえ^^。今年の漢字協会主催の今年の一字もあいちゃんのようですが、、、しばらくあいちゃんとにらめっこ、、、あまり関心がないみたいでした^^; さらに本殿にのぼる石段の脇には坂本竜馬が訪れた記念の看板!がでかでかとたてられています。石段を上ると狛犬ならぬ「こまいのしし」が両脇に控え神社本殿が構えます。 きちんとおまいりしたあと、神社内にある立て看板をあちこちのぞいて神社の由来、いのししの由来を読む。 奈良時代に、垂仁天皇の末裔に和気清麻呂という官僚がおりまして、このころ道鏡というあやしいお坊さんが、時の天皇称徳天皇の寵愛を一身にうけ、ておりました。これをいいことに道鏡さんは、天皇になろうと、自分の親族がいる宇佐八幡宮のご神託をうけるという形で禅譲を受けようとしました。 この神託の使者に和気清麻呂が選ばれ、使者として向かったあと、奏上する際、「君臣の秩序を重んじ、皇位には皇統から選び就けて、無道の人を除去せよ」と述べ、道鏡の恨みをかい、ここ鹿児島の地へ流罪となりました。 鹿児島についた和気公は、道にまよい、行き倒れになりそうになった際、白いのししの大群が現れ、ここ和気神社へと導かれた(道鏡事件)。 という話があるそうです。この近くには和気公の遺跡と、日本最古といわれる和気公の入られた温泉があり、ここは個人所有物ですが、入れるようです。 ちなみに、和気公は、称徳天皇が崩御されたあと道鏡が失脚、桓武天皇の代となり、再び京にのぼり、平安京建設に携わることになります。 ということで、今日は盛りだくさんになりましたが、関連するサイトにいろいろとリンクをつないでおきますので、関心があるようでしたらのぞいてみてください。 ということで、以下次回です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月15日 05時14分22秒
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