|
カテゴリ:日本創生
いろいろと遅れていることが非常に多くてすいません、くまです。
鹿児島旅行記もまだかけてないでしょうという声もきこえそうですが、、、このあとまた書きます^^;しかし、この続きを書こうとしたときに、幕末の薩摩藩の歴史のダイジェストの話をしないとわからなくなりそうなので、そういう話を挟もうと思ってます。 静岡の話は単純に忘れそうなので書きます^^; 静岡の話は静岡の話で、またもや、神話の世界にもなるので、一応神々の系図をリンクしておきますので参照してください、、、わかりにくいかもしれませんが・・・^^; http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index14.html リンクもいろいろと関係するところを張っておきましたのでご参照ください。 ということで、少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)を眺めていると、後ろから声をかけられました。。。 謎の人「あのちょっといいですか?私こういうものですが・・・」 ちょっとみ絵描きさんのようなお姿をされた少し中年の方がいらして駿河ウエイブ「青島○○」と書かれたプラスチックカードを首から書け、白いウインドブレーカーに腕に駿河ウエイブの文字が青くはいっている方が横に立っておられました。(駿河ウエイブについては左下のリンクから見てみてください。) くま(以下く)「はい、、いいですよ」 なんとなく面白い展開になりそう(青島様、見ていらしたらすいません)だったし、少し時間が有ったので、お話を聞くことにしました。 青島さん(以後あ)「少彦名は、主神の大国主の命(おおくにぬしのみこと)に使えた神さまですが、ここに書いてあるように薬師如来さまも一緒に祭られていました、、、神仏混合ですね、それが、明治の廃仏毀釈によって、神と仏さまは分けて、捨てなければならなくなり、緊急避難として、臨済寺(りんざいじ)へと運ばれ、いまは薬師如来さまはいません」 く「そうですよねえ、、、薬師如来さまって神様じゃないですからねえ・・・」 あ「神社の屋根の下をみていただくとわかるのですが、十二支の干支が四方に3つづつ彫り物が飾られているのがわかります。そして、正面なんですが、真正面中央には虎がいます。なんでかというと、徳川家康の干支が虎だからです^^」 く「なるほど家康をよいしょしてるんですね^^」 あ「そうですねえ^^;」 しばし話していると、 あ「もし時間とお金があるのでしたら、本殿の方も案内しますよ」 く「はいよろしくお願いします」 といって、向かった入り口の受付口が無人だったり^^; あ「ありゃ、いないですね・・・向こうのほうかな・・・」 あ「ちょうどいいいので、こちらからちょっと説明します。階段の上を見てください (一応浅間神社のマップのリンクはっておきます http://www.shizuokasengen.net/guide.html 10あたりをうろうろしてます) ひとつの本殿なのですが、左が浅間神社(あさまじんじゃ)、右が神部(かんべ)神社の本殿で、中央で別れていて、別々に入れるようになってます」 く「あのー、右左はどうやって決められたのでしょうか?」 あ「一応歴史をお話しすると、もともと富士山の信仰があった浅間神社がありまして、そののち、神部神社が祭られるようになりました。ちなみに左と右どっちが位が高いかわかります?」 く「左大臣のほうが右大臣よりえらいですから、左でしょうねえ。」 あ「そうです、だから、もとからいた浅間神社の方が左にあって、右に神部神社があります」 あ「ちなみに浅間神社の象徴する動物は鷹なので、鷹の彫り物が、神部神社は、因幡の白兎で有名な神様なので、ウサギの彫り物があります」 というところで、本殿に入るため別の入り口へ移動します。 文字多くなりすぎたので、ページ変えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月18日 01時11分25秒
コメント(0) | コメントを書く
[日本創生] カテゴリの最新記事
|