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カテゴリ:日本創生
なかなか長尺ものになってきちゃいましたが、もう少し・・・
本殿は地図でいうところの1・2です あ「先ほども説明した本殿ですが、この彫り物は立川流(たてかわりゅう)という彫刻美術の江戸幕府御用達の一派が彫っています。初代は、大工さんだったそうですが、諏訪で、修行、東京の立川で開業したので、立川流と名乗ったそうです。で、江戸幕府に御用達になった理由は、つくるにあたって必ず見積もりをしたそうで、それ以上のお金はもらわなかったからだそうです」 く「いまも昔も経済観念はかわらないかもしれませんね、もともと大工さんだったえいきょうでしょうかねえ?」 あ「そうかもしれませんねえ・・・とりあえず、縁起のいい彫り物がいっぱいあるわけですが、日光東照宮のものと比較してもかなり立体感のある堀の深いものがおおいですよねえ、、1600年代につくられた日光東照宮と200年も後期になったものではこれだけの違いがでるんですよね、すばらしいでしょ?」 く「これだけの立体感と、奥行きがあるのに一枚の板なんですか?」 あ「そうなんです、私もはじめは合わせたんだとおもいましたが、一枚だそうです」 く「うは、すごいですね・・・」 あ「浅間神社と神部神社の真ん中は実は守衛さんがずっとつめていたそうですが、ここの彫り物は鶴と亀と両サイドに鳳凰の図、、すごいですね。さらに背景に松竹梅・・・松竹梅がなぜ尊いものかといえば、冬の寒い時にもりっぱにはえてるからなんですよ」 ふむふむとじっくり鑑賞しました・・・・ その後、麓山神社(はやまじんじゃ)へ あ「ここは、日本を最初に統治することになったニニギノミコト(系図はこちら http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index14.html が、地上世界におりて初めてみそめた木之花咲耶姫命(このはなさくやひめ)の父にあたる大山祇命を祭っています。あまりにも木之花咲耶姫命が美しいのでこの大山の命に娶ると申し出たところ、姉と一所にもらってくれとお願いされたところ、ご対面して・・・で、ニニギノミコトが断ったところ、お前は二度と天上界には帰れないといわれ、実際帰れなくなるわけでした^^;」 ありゃまあ・・・ あ「また、4月と10月の2回、麓から神輿がでて、その中に木之花咲耶姫命を乗せてこちらの麓山神社の方へ運ばれる行事があります。」 一回みてみたいですね。。。 といった感じで、約2時間ほどこのほかにも沢山教えていただきました。どうもありがとうございました。 続きを書く気力があれば、また続きを書きますが今日は力尽きたのでここまでです・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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