テーマ:ё・ぼ・や・き・ё(1792)
カテゴリ:子供のいる風景
今朝、ヤ●ー・ニュースで、福岡市の小学1年生の男児殺害事件の犯人が、児童の母親だと知りました。 事件発覚当時のニュースを知ったとき、万が一、ひょっとして…と思いましたが、 そんなことはないだろう・・・と信じたかったので、否定して考えました。 (最近、こういうニュースが続くから)
ヤ●ー・ニュースの午後版を読んで知ったのですが、 この児童は、発達障害があって、特別支援学級に在籍していたそうですね。 母親は、子供の障害から将来を悲観して殺害してしまったそうですが。
別に母親を援護する気はありません。 腹くくって育てろよ、そう思います。 でも、腹くくるまで、精神面がこれてなかったんだのかもな、と思いました。
娘は、幼稚園に入る前に、療育の学園で週一回療育を受けていました。 療育は1年で終わってしまったのですが(その当時の市長が変えたのか!?)泣く泣くが学園と別れを告げました。 あの学園に通っているうちに、発達障害の子供のお母さんの基盤を作ってもらったと思っています。 泣いてばかりの私とはさよならして、強いお母さんに進化しました。 色んな困難が今後あるかもしれないけど、立ち向かっていかないといけないんだって腹をくくりました。 だから、恥ずかしいと思っても、恥ずかしいと思っていられない。 恥はかき捨て、 いずれ人生の糧となれ!です。 療育を去る時に、学園の先生からは、「地域とのかかわりを大事に成長してほしい。」と言われた気がします。 よく覚えていないけど「地域」という単語がポイントでした。 何かよく分からないけど、こういう子がいるよね。 この子のお母さんはこの人だよね。 この子のお兄ちゃんはこの子だよね。 面が割れるように出て行きました。
正直言います。 娘を殺したいと思ったことはあります。 娘といることが本当に大変だった時期があるんです。 言葉も通じなくて、意思の疎通もできなくて、言葉の指示にも従ってくれなくて。 獣を飼っているぐらい闘っていました。 でも、殺せませんでした。 理性があったから。 そんなことしたら、「おしまい」だと思ったから。
この子をもう一度産み直してあげたい、 もう一度お腹の中からこの子をやり直してあげたい。 そんなことはしょっちゅう思います。 産み直して、この子に普通の子と変わらない日常を過ごさせてあげたい。 普通に友達と遊んで、普通に喧嘩して、普通に泣いて。
でも、たとえば、産み直したとしても、この子は同じこの子じゃない。 この子は、この子だけ。 この子がいたから出会えた貴重な出会いもあるし、 この子がいたから自分になかった見方が生まれた。 この子は、私にたくさんの苦悩や苦労も与えてくれるけど、 その分、与えてくれる喜びは普通の子よりも大きい。 感動屋さんの私が、この子のせいでもっと大きく感動をもらう。 この子はこの子で私に多くのものを与えてくれる。
でも、これからも大変なことはたくさんあると思う。
だけど、そう思えるようになるまで時間はかかった。 今でも、時々出口のないトンネルに入り込む時がある。 でも、経験が私を支えてくれる。 開けない夜はない、 出口はどこかにきっとある。 そう信じて、がんばる。 きっと、みんなそうなんだ。 私の知っている特別支援学級のお母さんは、みんなそうやって頑張っている。
ちなみに、私だって、この子といっしょに死んでしまえ!と思ったことがある。 この子一人を殺したらかわいそうだから、私も一緒に死んであげる。そう思った。 でも、息子のことや、主人のこと、残された人のことを考えるとそれはとてもできないことだったし、 娘に失礼だと思った。 療育で知り合ったお母さんは、少なからずも一度は同じことを思ったことがあるはずだ。 だけどみんな頑張っている。
この児童の命を手折ってしまった母親は、出口を見つける前の八方塞がりのときだったのだろうか? 相談を聞いてくれる人や、弱音を吐く相手がいたのだろうか? 私は弁護しない。 でも、気持ちは分かる。 だけど、目の前で自らこの世に送り出した命を消し去ったとき、彼女の中に理性ははたらかなくて、きっと衝動が勝っていたのかもしれない。
事件が起こった時に発達障害・・・となると、げんなりする。 一生懸命生きている人もいるんだと知ってほしい。
正直滅入った。 ヤ●ーニュースのコメント欄も書きたい放題で、これもげんなりする。 でも、この児童の症状を読んだ限りだと、かなり大変だったともう。 母親の心痛は計り知れない。 それを緩和するものが、そこになかったのかもしれない。 私は、自分が苦しかった分、同じように苦しんでいる人がいると、自分のことや娘のことを話題にして、話を引き出して聞いてあげるようにしている。 聞いてあげるだけで、その人の気持ちが軽くなればそれでいい。 もしかしたら、いい案が生まれるかもしれないし、 前向きに進めることもある。
どうか、うつむき加減なお母さんがそばにいて、何かのきっかけで話すことがあったら、話を聞いてあげて欲しい。 自分ことをネタに笑いをとって話しかけてもいいと思う。 それでほぐれて、何か話してみたくなることもあります。 それだけで、凄く救われたりします。 ただ一言、「おはようございます」と言ってもらえるだけでも、救われたりするもんなんです。
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最終更新日
2008.09.22 17:00:12
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