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村松克哉

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2008年09月15日
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才が徳を上回る小人官僚が跋扈するから世の中がおかしくなる。本来、国の舵取りは徳が才を上回る君子がとらなければならない。国に理想がない。国民に理想に対する感激がない。教育が間違っているからこんな世の中になった。教育をとおして、日本人として感激するような目的がない。立派な人物になろう、国家人類のために奉公させようというようなことは考えられない。そこにあるものは、ただ上級学校に入学するということと、いかほどかの月給をもらう、サラリーマンになる、就職するということです。上下を通じて低級な功利主義に堕してしまって日本人の欲している感激性というものは教育目的から消えてしまっている。それが一般の教員社会において教育が非常に職業的になっている。本来、まず校長に独特の教育精神に燃えた人がおり、その理想、その情熱を分かつ教員が、その校長の眼識によって集められ、校長、教員、教員相互にむすびがあって、それによってその理想、その教育精神、情熱が学科を通じて児童、学生に伝達され、活きた教育になるのではないだろうか。やはり、徳が教育の根本になければ、いかに学科を学んで優秀な学生を輩出しても、指導者にはなれない。小学校はこの国の歴史、古事記から重点的に学び、そして四書による教え、道を求め、徳を愛する活き方を子供に学ばせるべきではないか。それから、学科に力を入れていっても遅くはない。今の教育は異常であり、亡国に向かっているとしか思えない。





















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最終更新日  2008年09月15日 09時56分07秒
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